頑張る事の評価は曖昧で、正しく評価されていない事が多いです。
一般的な価値観だと結果に関わらず頑張れば良いとされ、社会の現実は結果だけを見られます。
私はどちらも微妙に足りないと考えています。
現実主義の私からすれば結果は凄く大事なんですよ。
しかし、結果だけでは見えない人の頑張りが存在します。
今回は、そんな頑張りの価値についての話です。
正論と正論モドキ
正論とは正しい道理の話です。
ただ、哲学的に言えば正しさとは簡単に辿り着けるものではありません。
1人が考えた正しさが絶対的に正しいという事は、まずないでしょう。
それは物事が複雑になるほどそうなります。
例えば、テストの点数が低い人に対して
「努力が足りない」
と言う事。
一般的な価値観なら、これを正論と考えるでしょう。
私は、これを正論と呼ぶには粗末であると考えています。
まず、学習能力には見えない差があります。
スゲー頑張っても成績が上がらない人もいれば、学校の授業を聞くだけで良い成績を取れる人もいます。
運動神経と同様に、学習能力にも先天的な差は存在します。
次に環境。
放課後は暇で、自宅に勉強しやすい環境が整っている人は頑張れば成績を上げやすい。
一方、家計を支えるためにバイトをしなければならない人、何かしらの悩みや不安を抱く人は勉強だけに集中する事が出来ません。
同じ労力で同じ結果になるとは限らないわけです。
「テストの点数を上げるためには努力をする必要がある」
これは概ね事実ですね。
しかし…
「テストの点数が低いのは努力が足りないから」
これは事実とは限らない。
この様な似て非なる概念を同じ物であるとして、一緒くたに考えてしまいやすい。
後者のそれは正論ではありません。
言うなれば「正論モドキ」でしょうか。
「正論ハラスメント」という謎な概念の一部も、この正論モドキが原因ではないかと考えています。
正論モドキは、一見すると正しい事を言っているように聞こえてしまうものです。
それを見分けるのは詭弁を見分けるよりも難しい。
言う側も正論と信じているパターンが多く、私自身も正論を言っているつもりでモドキになってしまう事があります。
他人の何かを批判する時は、慎重に考え抜いてから行うべきだと考えています。
逆に、正論モドキで自分を追い詰めてしまうのも良くない事です。
自分を苦しめている考えは、正論モドキであるかも知れません。
許容量
人はストレスの許容量がそれぞれ違います。
分野によっても違うし、それによって受け入れられる量も変わります。
例えば、私は誹謗中傷や殺害予告は気になりませんが、特定多数の依存には弱いです。
逆に、依存にはめっぽう強いけど誹謗中傷や殺害予告に弱い人もいます。
だから、誰かが誹謗中傷で落ち込んでいても、それだけを見て「人間として弱い」とは思いません。
また、体力を使うのも頭を使うのも、それなりのカロリーを使います。
得意な方が疲れにくいだけです。
だから、適材適所で仕事をする必要があるわけです。
人には物事に対する許容量があるから得手不得手がある。
例えば、トラウマのある事に挑んで克服する事。
トラウマのある人と無い人では、そこに費やす労力や覚悟は段違いです。
誰かと話すのが得意な人が知らない人に話しかけるのは簡単ですが、人間関係にトラウマがある人が知らない人に話しかけるのは難しい事です。
鼻歌混じりで話しかける事と、ビビリ散らかしながら勇気を出して話しかける事。
結果は同じでも、そこに至るまでの労力と覚悟は全く違いますからね。
世の中は綺麗事より結果を求められるものです。
私自身、結果を出す事の必要性は身に染みています。
ただ…結果に届かないからといって、その人の努力や覚悟を他人が否定するのは間違いであると考えています。
別に、そういう部分を無理に評価しろと言いたいわけでは無いんですよ。
結果に関わらず頑張る事を評価する価値観によって、結果を出さずに頑張っているフリをする人が増えてしまいました。
だから、頑張る事を評価しない人がいるのも分かります。
しかし、他人の見えない頑張りがある事を知らないと、いい加減な事を言ったり、足を引っ張ったりしてしまう。
上から目線でテキトーな評価を下してしまう。
そういう浅慮なマイナスを他人に与えてしまうのは良くないと考えています。
苦手に挑む
苦手な事を克服するのはめちゃくちゃ大変なんですよ。
克服するどころか挑むだけでもスゲー勇気がいる事です。
私は共感能力が弱いから他人の感情に寄り添う事は出来ません。
しかし、自分が経験している事についてはよく分かります。
私もまた、いくつもの苦手を克服してきた人間です。
だから、私は苦手に挑む勇気の尊さを知っています。
その葛藤も不安も全て分かるし、必死な気持ちも伝わります。
そういう人を見ると胸が熱くなる。
だから、頑張る人がスゲー好きなんですよ。
分からない事、不安な事、先の見えない事、上手くいかない事、緊張する事もあれば、トラウマもある。
人はそういう苦手を「出来ない」と断じて諦めてしまいがちです。
そこで諦めないのは人間としての強さでしょう。
簡単に出来る事だけをやってきた人にとっては他人事で、それを当たり前であるかのように言ったりもします。
しかし、苦手を出来るようにする事は当たり前なんかではなくスゲー事ですよ。
そこには見た目以上の大変さがありますからね。
「頑張り」の価値というものは、その頑張りを経験しないと分かりにくい。
だからこそ、それを知る人は頑張る人を評価するのだと考えています。
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