「カエル伍長さんにとっての依存とはどういう事なのでしょうか?」
って、最近言われてハッとしたんですが、そういえば記事として依存の説明をちゃんとしていなかった事に気が付きました。
断片的な説明は色々な記事でしているんですが、依存の定義については全く触れていなかった。
混乱した人には本当に申し訳ないです。
今回は、そんな経緯で急いで書いた「人への依存」の話です。
面倒を見てくれるなら、わりと誰でも良い
人への依存の特徴がこれです。
例えば、赤ん坊は自立出来ないので、親に依存していると言えます。
しかし、親じゃなくても育てて貰えるなら誰でも構いません。
特定の人じゃなければ駄目ってわけではないんですよ。
人への依存はその人自体に興味を持つのではなく、その人が持っているものに興味を持ちます。
例えば、有名人はその名声に依存される事が多いです。
名声への憧れが強い人は、誰でも良いから有名人と繋がろうとします。
基本的に自分の望みを叶える力を持っている人に依存するわけです。
依存の仕方は様々で、同情を引いて関心を引く事もあれば高圧的に命令して従わせようとする事もあります。
目星をつけた相手に執着するのですが、より強い力を持つ人や、より与し易そうな相手がいたら乗り換えたりします。
ただ、人は大なり小なりそういう部分を持っているものです。
全て純粋な感情で接する人は少ないでしょう。
ではどこからが依存かという話ですが…
それは相手の事を考えずに自分の事ばかりになってしまうと依存になります。
要するに、一方的に利益を得ようとして相手を消耗させると依存になる。
また、興味を持った誰かに対して自分に興味を持って貰おうとする事、これは人として可愛いらしい部分だと思います。
では、相手の人間性に全く興味を持たず、相手を自分の思い通りにしようとする事。
これは依存だと考えています。
特に美男美女が病む原因の多くがこれで、自分の容姿にしか興味ない人が多く集まって、自分の人間性を無視される。
要するに、相手の容姿で欲望を叶えようとする人が集まる。
傍から見て、スゲー気の毒だなと思います。
カッコいいとかキレイだとか憧れる気持ちは誰しもあると思うんですよ。
ただ、相手の中身はどうでもいいのに、相手の容姿だけに価値を感じて自分のものにしようとする。
これは相手を人間として見ずに物として見ていますよね。
私は人への依存を「人を消耗品扱いする行為」と例えるのですが、その理由がまさにこれです。
同様に…容姿に限らず何かを持っている人は、その何かを求めて依存されやすいです。
地位、名声、資産、人脈などなど、人は価値に依存するわけです。
また、価値とは別に優しい人は与し易いから依存されやすいです。
依存する人は似たような価値なら多少下がっても与し易そうな人に行くんですよ。
ネガティブ系依存の人は特にそうですね。
人は誰かに甘えたくなるものですし、助けを求める時もあります。
私はそれを否定しないし、むしろ頑張る人ほど必要な事だと考えています。
そういう人は自分の力で何かを為そうとするし、落ち込んでも立ち直ったらまた自力で歩き出しますからね。
そして、相手が苦しい時は支えようとする。
それは信頼関係です。
しかし、依存する人はどれだけ力を尽くしても立ち上がらないし、そもそも自力で歩こうとしないんですよ。
相手がどんなに消耗してもしがみつくし、相手が破綻したら違う人に乗り換える。
それが出来る相手なら誰でも良い。
こういう風な状態を私は「人への依存」と呼ぶわけです。
恋愛感情と依存
私の記事を読んだ友人から
「俺は彼女に依存しているだけなのかも」
「不安になってきたよ」
と言われて「ごめーん!」と思った事がありました。
私は恋愛を否定する気はないんですよ。
本来の恋愛感情は人間的なもので、信頼関係に発展する可能性のあるものです。
誰かをスゲー好きになって夢中になる事を依存とは思わないし、相手を大切に思う事を否定したら私はいよいよヤベー奴です。
ただ、一般的な価値観で言う「恋愛」は非常に歪んでいて、それゆえに私は恋愛嫌いです。
世の中では依存と欲望が「恋愛」として扱われがちなんですよ。
例えば
「誰でも良いから恋人が欲しい」
これ、おかしいと思いませんか?
どこの誰かも分からない架空の相手に恋愛感情を抱く人はいませんよね。
これ、依存相手を探してる状態なんですよ。
恋愛関係の中で満たされる欲望を叶えてくれる相手を探しているだけです。
では、そういう人を相手にした時。
相手に都合の良いイメージを押し付けられて、望みを叶える事を強要される。
利用価値が無いと判断されたら捨てられるし、もっと価値のある人が現れたら乗り換えられる。
そんなの誰だって嫌でしょう?
しかし、それが恋愛として扱われている。
だから、私が恋愛嫌いなのは変な事では無いと思っています。
純粋に好きな人がいて付き合おうとするのは分かるんですよ。
しかし、恋愛がしたいから相手を探すってのはシンプルに欲望ですよね。
私は、本来の恋愛は信頼関係の一つだと考えています。
お互いが大切で、お互いに支え合うものだから上手くいく。
恋愛感情があると相手の事がスゲー大切になるものです。
しかし、欲望がベースだと相手を物のように感じてしまう。
信頼関係は「相手の力になりたい」という気持ちや「助けられたから返したい」という気持ちから始まります。
そこに性的な好意が乗ると恋愛感情になると考えています。
一般的な価値観の「恋愛」に対して、私は便宜的にそれを「愛情」と呼びます。
恋愛においては信頼関係が最も大切で、それが無いと上手くいきません。
これ、言っててスゲー恥ずかしいから死にたくなってきました(笑)
昔、私の先輩は「絶対に結婚しない!」と言い張ってたわりに、すんなり結婚しました。
だから、めちゃくちゃイジリ倒したんですが、先輩曰く
「結婚する気は全然無かったけど…嫁が超良い奴で、気が付いたら好きになってて、気がついたら付き合ってて結婚した」
とのことでした。
先輩も奥さんも自分より相手を気にかける人だからスゲー円満です。
お互いに欲望をぶつけ合う夫婦はギスギスしてるんですよ。
お互いに与え合う関係だからこその円満です。
依存と欲望では手に入らない関係があるんですよね。
だから、恋愛関係や夫婦関係にある人は、今が良好なら細かい事は気にしなくて良いと思います。
逆にギスギスしているなら、まず変わるべきは自分からです。
信頼関係
では、今度は信頼関係を作るにはどうすれば良いのかって話です。
まず人と信頼関係を築くには、お互いにある程度の人間的な価値が必要になります。
例えば、人は嫌な奴と信頼関係を築けないんですよ。
相手を信用出来ませんからね。
逆に自分がスゲー嫌な奴だった場合、人を助けたとしても打算や企みを疑われるでしょう。
相手も助けられる事に抵抗があるし、助け返すとしても義務的になるから信頼には繋がりません。
また、資産家が普通の人を無闇に助けると、信頼関係よりも依存されるリスクの方が圧倒的に高いです。
感謝どころか「もっとよこせ」って詰め寄られる事になる。
何かを持つ人ほど何も持たない相手に対して慎重になります。
信頼関係って、お互いに価値を認めていないと難しいんですよね。
だから、自分の価値を高めていく必要があります。
そして、人を助けたり、気に入った人に好意を伝えたりする。
ただ、それは見返りを求めないものです。
信頼関係はお互いの何かが信用出来たり気に入ったりして構築される関係なので、自分の力だけでどうこう出来るものではありません。
相手から信頼を得られるかどうかは自分次第ですね。
まあ、ここまで難しい話をしましたが…
良い奴になって誰かを助けたり、素直に思った事を伝えたりしていれば自然に信頼関係は出来るものです。
そんぐらいの気楽さでやっていれば良いと思います。
出来る時は出来るし、出来ない時は出来ませんからね。
人への依存は誰も幸せにならないから、信頼関係を手に入れるようになった方がよっぽど幸せです。
この記事を書いている途中で、なぜこの記事を書いていなかったのかを考えていたんですが…
正しく伝えるのが難しいから保留して、そのまま忘れてたんですよ。
人への依存という概念は複雑で、バッサリ切ると大事なものまで無くしてしまう。
だから、曖昧なまま依存という言葉を使っていたんですが、そのせいで読んでくれた人を混乱させてしまいました。
伝え方を間違えると、気にしなくて良い人まで気にしてしまう。
良い人や賢い人は心配性が多いから、関係なくても「自分はそうかもしれない」と気にしてしまうんですよね。
私が書く記事全般に言える事ですが、不特定多数に向けた話は言いたい事を正しく伝えるのが本当に難しいです。
昔、私の先生が
「難しい問題は1人1人と向き合わないと解決出来ない」
と言っていたのを思い出しましたね。
自分の力で自分の人生を歩いている人が、依存を気にして誰かを頼れなくなったら問題なんですよ。
私は私の記事で誰かを不幸にしたくないし、重荷に感じさせたくはないです。
道が分からない人の参考になるようにストレートに言ってるだけで、上手くいっているならその生き方で問題ありません。
不必要に傷ついたり落ち込んだ人には本当に申し訳なく思います。
あれこれ悩むより、今が幸せならそれで良いんですよ。
自分なりの方法で幸せを求めるのが人生哲学ですからね。
自分が直面している問題にだけ参考にしてくれれば良いと思っています。
コメント