「本当の戦士には剣などいらぬ」(後編)

哲学系記事
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前編では必要なあらすじを書きました。

よく聞けトルフィン。
お前に敵などいない。
誰にも敵などいないんだ。
傷つけてよい者などどこにもいない。
本当の戦士には剣など要らぬ。

後編ではこの言葉に対する私の考えを説明していきます。

心の鎧

人は自分の心が受け止めきれないほどの負荷に耐えるため、冷酷になり感情の揺らぎを抑えてダメージを少なくします。

私はその概念を「心の鎧」と呼んでいます。

トールズとトルフィンは戦場の中で心の鎧を厚くし、人間らしい感情を失っていきました。

作中のヴァイキングの戦士達も同じような状態の人が多く、人間らしい感情を失っている描写が多いです。

トールズは子供が生まれた時、トルフィンは奴隷生活の中で心の鎧がほどけていき、感情を取り戻しました。

トールズは殺し合いよりも家族の大切さに気付き、戦士団を抜けて暮らす事を選んだ。

トルフィンは今まで何も感じていなかった暴力に抵抗を覚え、罪の意識を背負います。

本当の戦士とは、争いの連鎖から逃れて本当の戦いをする者の事。

トールズにとっての本当の戦いとは、家族を守り暮らす事。

トルフィンにとっての本当の戦いとは、贖罪と平和な国を作る事。

どちらも奪うのではなく、何かを紡いでいく戦いです。

実はアシェラッドも本当の戦いをしていました。

祖国の復興という使命の為に戦っていたからです。

ただ、彼は剣による争いでしか道を拓く事が出来ず、それだけにトールズの言葉が深く刻まれていました。

ヴァイキングの戦士達は、戦う理由もよく分からなくなるほど争いが当たり前の日常を生きています。

奪い、奪われ、殺し、殺される…そんな刹那的な人生です。

人への情けは無く、敵に回れば誰でも平然と殺し、欲望を満たす事にしか興味がない。

人間らしい感情を失った彼らには剣が必要で、殺し合いこそが生きる理由でした。

本当の戦いは、その不毛な暴力の連鎖から抜け出した先にあります。

何かを紡いでいく戦いには、今までのように剣を振るって倒すべき敵はいません。

人と人が力を合わせていくもので、誰かから奪うものではないからです。

誰一人として傷つけて良い人もいません。

だから、本来ならそこに剣は必要ないわけです。

少年期のトルフィンに敵はいませんでした。

しかし、人を傷つけ人と争う事で敵が生まれ、剣が必要になったわけです。

人を傷つける事をやめたトルフィンとトールズには、本来ならば剣は必要ないはずでした。

トールズは

「自分が未熟だから、こんな物(剣)が必要になる」

と語っています。

争いから逃れようとしても、誰かが襲いかかれば争うことになる。

襲いかかる者がいるから剣で戦う必要がある。

しかし、襲いかかる者は心の痛みから逃れるため、何かの空虚を満たすために襲いかかります。

彼らもまた、何かに気付き、何かに出会い、人間らしい感情を取り戻して本当の戦いを始めれば争う必要はなくなる。

だから、本来なら争う必要の無い相手と争うための剣を持たざるを得ない。

完全に争いから逃れる事が出来ない自分を未熟としているわけです。

本当の戦士に剣は必要ない。

しかし、剣を捨てられない。

だから、トールズ自身も本当の戦士にはなれなかったし、感化されたアシェラッドも本当の戦士にはなれなかった。

しかし、二人は本当の戦士になる事をトルフィンに託しました。

トルフィンは豊かな作物が実る地「ヴィンランド」を目指します。

戦争も奴隷もない平和な国を作るためにです。

トルフィンが本当の戦士になるために選んだ戦い方が、言葉でした。

人々が協力し豊かになれば誰も奪う必要がなく、争いは生まれない。

それを目指すトルフィンは本当の戦士になれるかもしれないわけです。

本当の戦いと本当の戦士

人生の中で使命を見つけ、それを果たす事。

本当の戦いとは、まさにその事だと私は考えています。

トールズは家族の幸せのために、トルフィンは多くの人々の幸せのために人生を戦います。

不毛な争いの連鎖ではなく、人生で自分が為すべき事を見つけたわけです。

傷つけて良い人など誰もいない。

しかし、自分が未熟である限り争わざるを得ない。

誰も傷つけることなく本当の戦いをする者こそが本当の戦士である。

飢えて襲いかかる者には食事を与え、殺し合いをする者には道理を説いて説得する。

そうして争いを無くしていけば剣は必要ない。

それは結果的に多くの人を救う事にもなりますね。

それこそが本当の戦士なのだ…と、私は解釈しています。

それは理想論で現実はなかなか上手くはいかないものです。

だから、剣は捨てられない。

しかし、剣に頼らなくても良いように理想を追っていく。

それは剣で戦うよりも遥かに厳しい道のりです。

そう考えると、トールズの死から始まったトルフィンの旅路は胸が熱くなるものがあります。

現在、2021年11月時点ではまだ完結していないので物語の結末は分かりません。

面白いので、興味が湧いたら読んでみて下さい。

個人的にはアシェラッドがスゲー好きで、死ぬほど共感しました。

本当の戦士には剣などいらぬ

なぜ、この記事を書いたのかという話を最後にしようと思います。

世の中には誹謗中傷や殺害予告、マウントやパワハラなどの悪意が至るところにあります。

それらによって傷つけられた人が身を守るために反撃する。

打ちのめされた人が自分よりさらに弱い人を傷つける。

そうして傷つけ合う事が多い世の中です。

その争いの中で心の鎧を身に付けて、人間らしい感情を失っていく。

本当の戦いに気付く事がなく、不毛な争いと欲望を追求するだけの人生を続けてしまう人が多いです。

私は当初、嫌な奴は敵であって倒すべき相手だと考えていました。

しかし、その嫌な奴には嫌な奴になった原因があるものです。

家庭環境だったり、イジメだったり、能力の低さだったり、評価の低さだったり、生活の困窮であったりします。

自分に自信が持てず自己肯定感が低い。

要するにクソみたいな状況にある。

その痛みから逃れるために他人を攻撃してしまう。

一生懸命に頑張る人の足を引っ張る、成功した人を叩く。

誰かを傷つける事や何かに依存する事でしか自分を慰められない。

嫌な奴が何かに苦しんで誰かを攻撃し、その攻撃された人がまた誰かを攻撃する。

または、誰かにしがみつき、その誰かを引きずり落としたら違う誰かにしがみつく。

そんな救いの無い状態なんですよ。

では、それを無くすにはどうすれば良いのか。

痛みの元をどうにかするしかない。

痛みの元となるクソみたいな状況を変えるしかない。

クソみたいな状況を脱して心の鎧が外れた時、人間らしい感情を取り戻せる。

人への情や信頼や誰かの為に生きる事の価値を知るようになる。

そうして、人生で為すべき本当の戦いに気付く事が出来る。

誰も傷つけずにそれを行える者が、本当に強い人間であり本当の戦士であるわけです。

作中のヴァイキング戦士のように、人間らしい感情が死んだままでは欲望でしか心が動かない。

そのままでは人生の空虚を埋める事が出来ないし、多くの人はそれに気が付かないままです。

トールズの人生哲学は、まんま現代社会においても通用します。

本当の戦いをする人の多くは、嫌な奴からの攻撃にさらされます。

その攻撃に対して笑って流せる人ばかりではないでしょう。

しかし、反撃をしてしまうと争いの連鎖に巻き込まれて、いつかまた人間らしい感情を失ってしまいます。

だから、争わなくていいように人として強くなる必要がある。

かといって、クソみたいな状況から抜け出せずに他人を攻撃する人は増えるばかりです。

それならクソみたいな状況にある人を少しでも減らす。

それもまた、本当の戦いだと思っています。

今では争う事がめっきり少なくなりましたが、私もいまだに剣は捨てられません。

自分と同等以上の相手に剣で襲われた時は、剣で対抗しないと奪われる。

クソみたいな状況では自分を守るために剣が必要になるものです。 

しかし、剣による解決を覚えると剣に頼ってしまいがちになります。

恫喝する、詭弁で言い負かす、暴力を振るって屈服させる。

そんなものはコツさえ掴めば簡単な事なんですよ。

現代人はそういうのに弱い人が多いだけで、胸を張るような強さではありません。

剣に頼らない解決は難しい。

全ての人と和解し平和的に解決するには、私はまだまだ未熟です。

説得出来ない相手も多いし、理解させる事が難しい概念を上手く伝えられない事もある。

克服しつつあるとはいえ、自分自身の争いを好む性分もまだ残っています。

本当の戦士への道のりは遠いな…と、つくづく思います。

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