「信念」とは結論である

哲学系記事
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信念とは、一般的にはそれが正しいと固く信じている心の事です。

私はよく「自分の正義」という言い方をしたりします。

ただ、それが正しいと盲目的に従うのではなく…

ただ、そう思いたいからそう思うのではなく…

信念には信じるだけの根拠が必要になります。

それゆえに、私は信念は結論であると考えています。

今回はそんな感じの話です。

正しさとは何か?

「あの人が言っているから正しい」

これは、私が人生で死ぬほど聞いてきた正しさの根拠です。

「あの人」には知名度のある人、信用のある人、肩書きのある人などが該当します。

全知全能の人間は存在しません。

誰しもが間違えるし、誰しもが嘘をつく。

だから、「あの人」が言っているから正しいとは限らない。

正しさの根拠としては非常に弱いわけです。

これは、社会問題や政治がらみの話でもよくある事です。

国や社会の情勢は複雑で難しく、全てを正確に理解している人間なんてまずいません。

どんなに探求に明け暮れても、知らない事や分からない事は増えるばかりです。

だから、多くの人は簡単に分かるような答えを求めます。

それが、誰かの発言を信じる事です。

「戦争法案反対」

これが叫ばれていた時、その言葉の非合理さとテキトーさにポカンとしたのですが…

それを何も疑わず、何も調べず、何でも知っているような顔をして叫ぶ人が多かった事に一番驚きました。

子供騙しな言葉なので少しでも自分で考えたら分かるはずなんですが、鵜呑みにする人がスゲー多かった。

今まで出会ってきた政治思想や政党の支持者の内、大半の人はこんな感じです。

政党はそれぞれが私的な思惑を持っているものです。

だから、自分達に都合の良いように事実を曲げて話したりします。

右派左派に関係なく、どんな政党も例外なくそんな感じです。

政治思想に傾倒する事で自己肯定感を得ている人も多いので、あまり言いたくはないですが…

その思想に染まっている時点で正しいとは言えません。

正しさとは自らの思索によって探るものです。

私利私欲や負の感情からではなく、ただただ論理的に探っていく。

何度も答えを出して、何度も間違いを繰り返して、トライ&エラーの果てに正しさへと近づいていける。

論理的に考える、答えを出す、間違いを認める、また考える、そうして信念という結論に辿り着く。

これをしない信念など存在せず、それは盲信と言います。

賢者は自らを賢者と認めません。

なぜなら、知るほどに知らない事が増えるからです。

しかし、盲信をすると自分が賢者であるかのように思えてしまう。

盲信をする人は「自分は賢者だから正しい」と固く信じこんでいる人もいます。

しかし、間違いを認めない人は正しさから最も遠い存在です。

本当に正しさに近づこうとする人は常に探求の途中にある。

探求の途中で分かっている事を話しているだけなので、現時点で出せる結論がそれであって、絶対の正しさではない事を理解しています。

しかし、現時点ではベストな結論であるから、それが今の信念となるわけです。

情熱と冷静

静かに火を燃やすように信念を貫く人もいます。

信念を持つ人で、不条理や理不尽が嫌いな人がこうなりやすいです。

フィクションなんかでもよく描かれるので勘違いされがちですが、それはただ単に感情的になる事とは違います。

自分が出した結論を貫く事に情熱を持っているだけであって、一時の感情だけで動いているわけではありません。

また、全く情熱を持たず、まるで他人事のように信念を貫く人もいます。

極めて論理的であるがゆえに正しさを求めるタイプの人ですね。

情熱ではなくシンプルに正しさを求めるからこそ信念を持ち、それに従っているだけなのでやる気が無いようにも見えたりします。

情熱を持つ人も冷静である人も、どちらも論理的であるがゆえに信念を持ちます。

信念を作るのは感情ではなく論理なんですよ。

よくある炎上した有名人への怒りは、ただの感情論です。

「なんて奴だ、許せない」

これは信念ではなく、一時のテンションですね。

冷静に分析して物事の正しさを見極めてこその信念です。

ただ、人に信念を貫かせるのは人間らしい感情なんですよ。

何かに対する「正しさへの拘り」という人間らしい感情が信念を貫かせます。

激しい感情は長続きしませんが、正しさへの拘りは静かに長続きする感情です。

人によっては性格や癖と言っても良いレベルで続くものです。

ただ、信念は変化します。

人は常に未熟で、死に至るその瞬間まで成長する余地があります。

人生の中で大切なものを見つける事もあるでしょう。

そういった経験をして少しずつ変化していく。

抱いた信念をひたすら守ることは美徳でもありますが頑迷でもあります。

正しさを求めていくなら変化を受け入れていく事も必要だと考えています。

私は当初、

「嫌な奴はぶっ飛ばすのが正しい」

と考えていましたが、今では

「嫌な奴を生み出す何かを変える事が正しい」

と考えています。

嫌な奴もまた何かの犠牲になり、弱さや辛さを抱えていて、それゆえに嫌な奴になっている事を知っているからです。

このように、大筋は変わらなくても細部は常に変化し続けています。

信念がもたらしたもの

若い頃の私には信念が無く、自分の利益や欲を満たす事が全てでした。

そのため、他人の成功や幸せを喜べないし、周りが上手く行っている事が苦痛になる。

「自分さえ良ければいい」

という考え方をしているのに、その自分が周りよりも上手く行っていないのだから当然ですね。

こういう考え方は多くの人が大なり小なり価値観として持つものなので、それ自体を私は責めるつもりはありません。

しかし、自分の事ばかりだと生きるのが辛くなる。

利己的な人間で幸せそうな人を見た事が無いです。

今の私は他人の幸せを祝う事が出来るし、誰かの頑張りに心が動くし、見返りを求めずに誰かの力になろうとする事が出来る。

全てに根拠があって、それが正しい事だと信じているからです。

そういう今の自分がスゲー好きですし、わりと幸せに生きています。

かつて、良い人に見られようとして自分を偽っていた時は自分が嫌いだったし、世の中は汚く見えていたし、生きているのが辛かった。

私利私欲に生きるより、信念がある今の方が幸せなんですよね。

私は現実の問題に向き合った事が信念を持つきっかけになりました。

クソみたいな状況を変えるために感情論を捨て、論理的であるように心がけた。

論理的であるために感情を排した思考を身につけた。

そうして問題を解決していけるようになりました。

しかし、常に感情が無いわけではなく、今は論理的に思考する時だけ感情を除外しています。

まるでロボットのように機械的にこなすだけでは上手く行かない事も多い。

モチベーションを上げる時や人を動かす時は感情が必要になりますし、正しさを貫く事にも感情が必要です。

だから、死にかけていた感情を取り戻そうとするようになりました。

論理的であるために感情を除外して、それによる哲学で感情の大切さに気づく。

我ながら中々エモイなと思います(笑)

論理的思考と感情が揃った時に、初めて信念が生まれたんですよ。

そして、それを大事にしようと思いました。

ただ、その正しさを貫く事はスゲー難しい。

色々なものに立ち向かわないといけません。

1人だけで弱ければ簡単に折れてしまう。

だからこそ、自分を鍛え上げたり、価値を積み上げたり、人との信頼関係などが必要になります。

簡単な事ではないけれど、それを目指す事によって見えている世界が明るくなりました。

若い頃の私には、他人の幸せを願える人生がある事が理解出来なかった。

今の自分がそう生きられる事が、私はシンプルに嬉しいです。

周りからどんなに否定されても、どんなに邪魔をされても、自分の正義を目指していて良かったと思っています。

持ってしまえばどうってことないものですが、なんか「信念を貫く」という響きはカッコ良く聞こえるものです。

だから、あちこちで頻繁に使われます。

しかし、ただのカッコつけでは得られない何かがあるから、本物の信念を身につけた方が良い。

それは長い道のりですが、自分を幸せにするものですから。

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