自信とは文字通り「自分を信じる」という事です。
だから、信用に足る人間であるためには信じられるだけの根拠が必要です。
能力はあっても自信が無いがゆえに上手くいかない人が多く、今回の記事を書こうと思い立ちました。
個人的に、他者の評価を得るよりも自信を持つ事が大事だと考えているので、私は自分自身が信用出来るような行動を優先します。
自信を持って行動すれば他者の評価は勝手についてきますからね。
今回は、そんな自信の稼ぎ方の話です。
逆張り
「こいつ、いっつも筋トレの話してんな」
と思われそうですが、それだけ例えやすいから使っているだけので勘弁して聞いて下さい(笑)
筋トレの話をすると
「仕事の後は疲れて出来ない」
「仕事前に筋トレなんて出来ない」
大抵の人はこう言います。
まあ、それは分かるんですよ。
私の価値観が特殊なだけで、普通はそうでしょう。
そう…普通は仕事の日に筋トレなんか出来ない。
なら、逆に考えたら
「仕事の日に筋トレしてたら凄くね?」
って思いませんか?
普通は出来ない事を、あえて逆張りしてやっていく。
これ、スゲー自信になるんですよ。
自信は行動の積み重ねと結果で出来ています。
その行動の積み重ね自体が既にスゲーなら、普通にやるよりも遥かに自信になる。
だから、私は普通の人がやらない事に挑むのが好きなんですよ。
まあ、イカれてた時期はやり過ぎて体を壊したんですが、やろうと思えばそれだけの事が出来るという根拠になっています。
自衛隊時代も似たような感じの事がよくありました。
仕事が終わった後、大抵の隊員は酒を飲んだりゴロゴロします。
その中で、自分は体を鍛えたり何かの能力を身につけようとする。
そうやって実力と自信をつけていきました。
それは周りが手を抜く事ほど効果的です。
ぶっちゃけると
「周りが手を抜く中で頑張ってる私はスゲー」
って思う事がモチベーションになっていましたね(笑)
実際、それで差は広がります。
意外かもしれませんが、自衛官は問題になるくらいメタボが多いんですよ。
今の私ぐらい鍛えている人は、精鋭部隊じゃない限りは現役でもそんなにいないです。
研鑽の差があるほど自信に繋がる。
周りが頑張らない事を頑張ると、結果によらず自信になるんですよ。
「化けたな」
どんなに研鑽を積む人でも自分の成長というものは分かりにくいものです。
だから、明確な結果が出ない限りは自信になりにくい。
しかし、周りから見れば意外と変化に気付いたりしています。
だから、言って貰うのが手っ取り早い。
私が一番自信になったのは、良い意味で「変わったね」と言われた事です。
自分が良い方向に変化した事がハッキリ分かりますからね。
ただ、言って貰うのではなく、自分の行動で言わせるのが大事です。
自衛隊では陸士から陸曹に昇進すると本来なら仕事の質が全く変わります。
しかし、陸士の頃と大して変わらない陸曹が多く、陸曹としての仕事を任されない人も多い。
私はそれが嫌だったんですよ。
だから、自分が陸曹に上がる時は「変化しよう」と意識して行動しました。
自分だけでなく他人がやってる仕事を覚えたり、責任という物について考えたり、テキトーになっている部分を見直したり…
「あいつは陸曹になって化けた」
周りにそう言わせるために意識して変化したわけです。
ある時、本当に言われたんですよ。
「お前は陸曹になって化けたなあ」
最初は最先任上級曹長から、次は部隊の副隊長から言われました。
スゲー嬉しかったし、スゲー自信になりました。
良い意味で「変わった」と言われるのは普通に嬉しいものです。
それが意識して行動した結果で他人に言わせると、めちゃくちゃ自信になるわけです。
擦り傷の多さがコミュ力になる
自衛隊は人か獣か分からん連中が多いので、コミュ力が必要になります。
あらゆる実績と能力で上司に勝っていても
「あいつは結婚していないから駄目だ」
みたいに言われたら周りからの評価が落ちます。
非論理的な意見を鵜呑みにする人がとにかく多かったです。
人間関係は論理が通用しない事も多いんですよ。
だから、わりと体当たりで覚える事も多い。
野生動物でもコミュ力がある奴と無い奴がいて、群れの中で喧嘩したり協力してきた奴ほどコミュ力がある。
人間も同じように他者との摩擦を経験して、時には相手を傷つけたり傷つけられたり、謝ったり許したり…
状況を理解して合わせたり、観察や経験をしながら覚えていくものです。
意図的にやったり悪意を持って接するのではなく、自然体で接するから学びになります。
で、当然ながら失敗や恥や後ろめたさを経験するんですよ。
コミュ力は人間関係の擦り傷の多さです。
痛みを知って覚えていく。
コミュ力の高い人は大体スゲー失敗をやらかしています。
しかし、その傷の数々がコミュ力の源になっている。
それはそのまま人間関係の自信になります。
その状況をなんとなく知っているから、なんとなく上手に振る舞える。
かつて失敗したからこそ、今に活かせる。
そういうものです。
もちろん、人間関係では気を使う事もありますよ。
私も相手に怖がられないように注意しますからね。
ただ、根本的に経験が足りない場合は、上手くやろうとするのではなく体当たりで覚えようとするのが大事なんだと思います。
ビビりながらも前向きに人と関わっていくのが一番手っ取り早い方法なんですよね。
傷を避けようとするのではなく、傷を負う覚悟をする。
私も獣の檻のような場所でそうやって学んできました。
一つ一つを言葉にして説明する事は出来ますが、全てを話すと尋常ならざる数になる。
その全てを覚えるのはまず無理だから、大事な部分だけブログに書いています。
ただ、一点だけ話すとしたら
「相手が自分の事を好きか嫌いかは関係ない」
「というか、どうにもならない」
ですね。
相手の感情はコントロール出来ないし、絶対に好かれる方法も絶対に嫌われない方法も無い。
人の心は複雑だし、人によって価値観も違う。
好かれようとしても好かれない時もあるし、嫌われると思っても全然平気だったりする。
だから、大事なのは相手に好かれようとする事ではなく、自分がその相手とどういう関係になりたいかです。
その関係を目指しながら接しつつ、無理なら接し方を変えていけば良いんですよ。
集団の場合も同じで、相手が集団に変わっただけです。
私はコミュ障の人の内面が独特な事を知っていますし、普通の人より人間関係の難易度が高い事も理解しています。
しかし、それを分かっている人は少ない。
コミュ障の人は内面が面白かったり優しかったりするので、私は出来るだけ力になりたいと考えています。
ただ、どうしても自力で戦わないと乗り越えられない部分もあるんですよ。
その結果なら、どんな恥をかこうが失敗をしようが、ダセー結果になろうが私は「頑張ったんだな」と思います。
私もそうやって自信をつけてきましたからね。
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