「痛み」は誰かの為になる

哲学系記事
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何かを教えたり誰かの力になろうとする時は、相手の気持ちを理解するほど成果を得る事が出来ます。

その為には未熟だった頃の自分の気持ちを覚えている必要がある。

ただ、人は気持ちを忘れます。

それは非常にもったいない事である。

今回は、そんな感じの話です。

人は「気持ち」を忘れる

自転車に乗れなかった時の気持ちを覚えていますか?

多分、思い出せない人がほとんどだと思います。

多くの人にとって覚えておく必要が無い記憶ですからね。

じゃあ、どんな時にその気持ちが必要になるかというと

「自転車の乗り方を誰かに教える時」

なんですよ。

座席に座って、ハンドルを握って、ペダルを漕ぐ。

操作方法を教えるだけなら誰にでも出来る事です。

ただ、自転車は最初から上手く操作出来るものではありません。

何度も転びながら乗り方を覚えていくものです。

当然ながら途中で嫌になったり、苛立ったり、諦めそうになったりします。

人に何かを教える時に重要なのは、こういうネガティブな部分のフォローだったりします。

そのフォローをするためには相手の気持ちをよく理解する必要がある。

しかし、自分が乗れなかった時の気持ちを忘れてしまうと、相手がどんな心理でつまづいているのか分からなくなってしまいます。

心理が分かれば、相手の心が折れないように

「惜しかった、良い感じだった」

「さっきより進んだ」

と成果を実感させて、やる気を継続させたり

「休憩しよう」

「自分では分からんかもしれんけど、上達してるから落ち着いてやってみな」

みたいに、ネガティブになりつつある頭をクールダウンさせたりと、状況に合わせた言葉を選ぶ事が出来ます。

この状況に合わせた対応が人に何かを教える時の肝なんですよ。

人は心が折れた時に諦めます。

やる気を失うと惰性になります。

だから、気持ちのフォローを出来るかどうかが教える側の資質だと私は考えています。

まあ、体育会系みたいに色々と頑丈な連中なら楽なんですよ。

「いいからやれクソが」

ぐらいの事を言って発破をかけるだけでも乗れるようになります(笑)

ただ、世の中はそういう人ばかりではありません。

「教えるのが楽な相手に何かを教える」

これは大抵の人が出来る事です。

「教えるのが難しい相手に何かを教える」

これは相手の気持ちを理解出来る人にしか出来ない。

そのためには、自分が過去に経験した気持ちを覚えておく必要があるわけです。

しかし、人は昔の気持ちを忘れるものです。

それだけに何かを教える事は難しい。

私は自分の気持ちを忘れないで覚えている事も指導者としての素質だと考えています。

何かに真剣に挑むほど苦労した事や悔しかった事があるでしょう。

その気持ちを大事に持っておくと、いつの日か誰かの為になるかもしれません。

本当に優しい人

実際に経験していない事でも相手の気持ちを知る方法が共感能力です。

これは相手の言動や雰囲気から同じ気持ちに合わせる能力です。

相手が悲しそうに話していたら悲しく、怒りながら話していたら怒る。

要するに相手の感情に同調する能力ですね。

これがある人は経験した事が無い痛みにも共感する事が出来ます。

だから、共感能力が高い人は基本的に優しい人が多いです。

ただ、共感能力は相手の表面に出ている感情に同調する能力なので、心の奥の感情に合わせる事は出来ません。

また、共感能力を発揮せずに優しい人もいます。

人生でズタボロになってきた人は、その分だけ痛みを知っているから他人の痛みが分かります。

自分が経験した分、深い部分の感情を理解出来る。

ただ、身に余るような苦労を経験してしまうと、人は精神が悪に傾いてしまいやすい。

しかし、痛みを知りながら乗り越えて、善に傾いた人はスゲー優しくなります。

だから、そういう優しい人は表面的に弱く見えたとしても、心の奥にある芯が強いんですよね。

この人達は、他人の痛みを無視する事が出来ない。

誰かの痛みを自分の事のように感じてしまうからです。

「痛いほど分かる」というやつですね。

冷徹さを持たないと辛い事も多いのですが、それをせずに生きている人は「本当に優しい人」だと私は思っています。

本当に優しい人達は雰囲気から優しさが滲み出ます。

そのため、人に警戒心を抱かせる事があまり無い。

私では怖がられた挙げ句に逃げられてしまうような人が相手でも、自然に近付いていく事が出来る。

本当に人を助けられる人ってのは、こういう人なんでしょうね。

初心忘れるべからず

室町時代の猿楽師、世阿弥の有名な言葉です。

猿楽とは日本の伝統芸能で、現代で言うところの能や狂言の事です。

この言葉の意味は

「ヘタクソだった時の芸を覚えていると、今どれだけ成長したかを知る事が出来る」

「オッサンになった時の芸は新しいステップになるから、結局は初心者になる」

「ジジイになっても初めて挑む事があるから、いつまでも初心者になる事がある」

要するに

「一生初心者を経験するから初心者の気持ちを忘れるな」

「慣れたから完成したとか、偉くなったからもういいとか、そういうのは無い」

という事です。

例えば、若い頃にスポーツ選手として活躍した人が、歳を取ったら指導者になる。

指導者になった人がジジイになったら、指導者を育てる指導者になる。

こんな感じで、上を目指すほど初心者を繰り返すんですよ。

だから、いちいちビビり散らかさないように初心者の気持ちを覚えておけって話ですね。

下手に偉ぶったり慢心すると、次のステップで挫折するか挑めなくなるぞ…って事です。

これ、有名な言葉だけあって非常に含蓄のある言葉ですよね。

前述した話と合わせると優秀な指導者は初心を持っていると言えます。

逆に人の気持ちも知らないで偉そうな事を言う人には誰も従いたくないものです。

シンプルに「うるせえ」って思いますからね。

未熟さってのは恥ずかしいものです。

だからこそ忘れたくなります。

しかしながら、その痛みは他者の為になり、ひいては自分の為になる。

人は順当に上を目指していれば立場が変わるし、新しいステップを選ぶ事もある。

私もいずれ前線を退いて違う立場に回るでしょうね。

泥沼の中を這いずりまわった経験も、こうしてブログになっている。

だから、気持ちを忘れないというのは大事なんですよ。

気持ちもまた人生の財産になりますからね。

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