善への転化

哲学系記事
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「ダークトライアド」という記事でも話しましたが、人によって善悪の割合が違います。

悪性が強いほど短絡的になり、利己的になり、メンタルが弱りやすいです。

悪性から善に変わっていくには様々な条件がありますが…

正直、私が経験した事しか分からないので、私が通過したものについて話します。

今回の話は、かつての私みたいに悪性が強い人が善に転化するためのポイントです。

ちょっと過去の記事のまとめみたいな感じになりました。

誰も知らない頑張り

自分の努力や頑張りを誰かに評価されるのは嬉しいものです。

それはモチベーションにも繋がるでしょう。

だから、誰かの応援があるとやる気が出ますよね。

ただ、誰にも見られていない所でも頑張れる人は意外と多くありません。

昔、市営ジムに通っていた頃は、スマホをいじりながらダラダラとトレーニングマシンを動かすだけの人が多くいました。

その人達は若い女性が来ると…唐突に唸りながら筋トレを始めます(笑)

スゲー分かりやすくて、いつも笑いそうになっていました。

ただ、筋トレの本来の目的は鍛える事です。

だから、若い女性がいない場所でも同じくらい頑張れないと…あまり意味がない。

頑張っている姿を誰かに見て貰う事がメインになっていて、結果に繋がらない。

この状態に陥る人が多いんですよ。

長期的な努力による結果を放棄して、短絡的な虚飾だけで他人の評価を得ようとする。

それが常態化すると、精神が悪に傾きやすい。

嘘をついて自分を大きく見せようとする行為ですからね。

それを続ける限り、いつまでも自分に自信が持てません。

一方で、誰も知らない頑張りを続けられると

「自分は人知れずに努力が出来る」

と、自分が自分を認められるようになる。

それは必ずとは言いませんが…結果に繋がるので他者からの評価にもなります。

シンプルに努力によって実力をつけていく。

これは善に転化しやすいんですよ。

だから、人知れず頑張れる人ってのは善人が多いです。

「努力を人に見られるのがなんかヤダ」

っていう、ひねくれ者もいますね(笑)

善への転化で重要な事が、誰も知らない頑張りが続けられるかどうかです。

人の良い所を正しく見る

私が死ぬほど説いている持論が

「人は自分を基準に人を見る」

です。

そのため、自分の悪性が強いと他人も悪人に見えるんですよ。

まあ、裏切られた経験とか傷つけられた経験が多くても人を疑うようになりますが、その場合は信用するまでが長いだけで信用出来ないわけではありません。

悪性が強い人は、自分が他人を騙すからこそ他人も自分を騙していると考えてしまいます。

根拠もなく良い奴を「腹黒」と称し、良い行いを「偽善」と呼ぶ。

これは自分がそうだからなんですよね。

そして、他人より自分の性格が悪いと認めたら自己嫌悪に陥ってしまう。

だから、根本的に他人を悪だと決めつけるわけです。

まあ、人間なんて誰しも善悪を合わせ持っているので、どんな聖人君子も重箱のスミをつつけば悪の部分はあるものです。

しかし、それをやっていると他人が怖くなるし、自分の悪性は強くなってメンタルも弱くなっていく。

だから、昔から言われているように

「人の悪い所ではなく良い所を探せ」

なんですよ。

人の良い所を知るほど、人を信用出来るようになっていく。

信用出来る人間が増えるほど、自分の悪性は下がっていきます。

世の中に信用出来る人間がいるかどうかってのはスゲー大事なんですよ。

私は10人中9人に裏切られても、信用出来る人間を1人見つけられればプラスになると考えています。

裏切られるよりも、人を信用出来なくなる方がマイナスなんですよね。

ただ…致命的なダメージを負わないように、ある程度の警戒心も必要だとは思っています。

まあ、散々騙されたり裏切られてきたから、一定以上に悪性が強い人や不審な挙動を見抜けるようにはなりました。

馬鹿げた正義を追う

人生で嫌というほど悪性の強い人間と関わってきたし、私も元々は悪性の人間だったから、悪性の心理や行動はよく理解しています。

悪性が強い人は基本的に「人間はクソだ」と考えています。

ただ、人間を汚いものだと考えていると、生きていくのが辛くなるんですよ。

大抵の人は、人と関わって生きています。

その関わる人が全て悪人だと考えていたら、世の中はクソでしょう。

だから、どんなに悪性が強い人でも「善人がいて欲しい」という矛盾した願望を持っているものです。

他人を傷つけ、他人を騙し、他人を陥れるような人でも自分を救うヒーローを求めたりします。

しかし…実際にそんな人物が目の前にいたとしたら、その人の存在自体が自分の自尊心を傷つける。

悪性が強いほど受け入れる事が出来ず、逆に陥れようとしてしまう。

「助けられているのではなく、自分が相手を上手く利用している」

などと、こじつけで考えて自分を肯定していたりします。

また、善人と善を偽る悪人の区別は難しく、相手の言葉だけでなく連続した行動を見ないとまず分からないものです。

自分の性と反対の行動は辛いものなので、一時は出来ても連続して出来る人はなかなかいません。

同時に、悪性が強いと悪性の行動をやめる事が出来ない。

まあ、ずっと善性の行動をしている人がいたら、それは中身が悪性だとしてもシンプルに善人ですね。

悪性が強いと善人はなかなか寄ってこず、悪人が寄りつきやすい。

騙し騙され、利用し利用される事がずっと続いていく。

そんな感じで、悪性が強い人は信用に足る善人と出会う事が難しく、信用を得る事も難しいわけです。

じゃあ、どうするか?

自分が信用に足る善人になれば良い。

善人になれば善人が寄りつきやすくなるし、世の中も違って見えるようになる。

ただ、人は模範となる人がいないと目指す場所が分からない。

目標が無いとなかなか目指す事が出来ない。

そういう時は、まるで少年漫画の主人公みたいに「馬鹿げた正義」を目指すんですよ。

誰もが鼻で笑い、見下し、馬鹿にするような正しさを求めて自分の正義を鍛え上げる。

他の人間を置き去りにして、圧倒的な正しさを目指すわけです。

最初は形だけでも馬鹿げた正義を追っていれば、精神は後からついてきます。

そうすれば世の中に最低でも1人は信用出来る善人が存在する事になる。

それが自分ってのは最高の事だし、圧倒的な自信になります。

ただ…これはいずれ人という種族の壁を越える道なので、どこかで必ずブレーキが必要です。

まあ、その課程で他の善人にも出会うものです。

その時は世界が明るく見えていると思います。

まあ、個人的には

「偽善や悪が多いからこそ、自分は本物の善になる」

「青臭いと笑う人間が多いからこそ、正義を追いかける」

という、ひねくれた生き方が好きなんですけどね(笑)

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