カサンドラ

哲学系記事
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哲学的な話の中でたまに「カサンドラ」という言葉を目にします。

「カサンドラのような状態」みたいに語られますね。

「真実」を知っていても信じて貰えなかったり、理解されない事の比喩として用いられる場合が多いです。

相手の理解が得られない場合に陥りやすく、マイノリティは少なからず経験します。

カサンドラとはギリシア神話に登場する王女の名前です。

その逸話から来ています。

今回は、そんな感じの話です。

トロイの王女「カサンドラ」

ギリシア神話に登場するトロイという国にカサンドラという王女がいました。

兄に英雄ヘクトルと国に戦乱をもたらしたパリスがいて、映画「トロイ」でも関係性が描かれています。

カサンドラは太陽神アポロンに愛されていて、アポロンの恋人になる変わりに予知能力を与えられます。

しかし…その予知能力で、アポロンの熱が冷めて最終的に捨てられる事を知ってしまう。

そのため、カサンドラはアポロンの愛を拒絶します。

激おこプンプンなアポロンは、カサンドラに

「カサンドラの予言を誰も信じない」

という呪いをかけてしまいました。

その呪いによってカサンドラは、兄のパリスが戦乱を招く事も、敵の作戦である「トロイの木馬」で城塞が陥落する事も知りながら何も出来なかった。

カサンドラは真実を知りながら、誰に話しても信じて貰えないという苦悩を背負ったわけです。

カサンドラ状態

現実においても同じような苦悩を味わう事がよくあります。

人は自分の経験と照らし合わせて人の話を聞くものです。

そして多くの人は「自分が知らないという事実」を知らない。

だから、知らない事を話された時、自分の価値観に合わない話であるほど人は信じないものです。

それが真実であってでもです。

私が陰謀論を疑いながらも一蹴しない理由がこれですね。

例えば、私が散々敵対してきたサイコパスも被害者以外には良い人だと思われていたりします。

サイコパスがサイコパスだと分かる人はほとんどいないし、フィクションの影響が強くて間違った知識を持っている人がほとんどです。

多くの人は実際のサイコパスの話を聞いた時

「そんなおかしい事をする人がいるわけがない」

と考える人が多いです。

だから、被害者が周りに助けを求めても「気のせい」とか「勘違い」みたいに言われてしまうし、むしろ「お前が悪い」なんて逆に責められる事すらある。

まさにカサンドラと同じ状態ですね。

また、自分の状況や苦悩、感じた事を言語化するのは難しい。

正確に分析して論理的に説明する必要があるのですが、それは誰にでも出来る事ではありません。

人に話しても上手く伝わらないし、理解されない。

だから、漠然としていて明確な原因が分からないまま苦悩を抱えている人も多いです。

また、洞察力のある人は様々な事に気が付きますが、その説明が難しい。

他人が表に出さない感情みたいに、普通は見えないものに気が付いても証明が出来ませんからね。

まあ、直感と推測なので人によって精度はまちまちですが、鋭い人は本当に鋭いです。

ただ、それは普通の人からすれば幽霊の話をされているようなものなので、話しても正気を疑われるでしょう。

似たようなもので、ネガティブに考えた事が根拠の無い確信になってしまう「猜疑心」があります。

猜疑心は多くの人が持つもので、大抵の場合は単なる考え過ぎです。

直感や推測と猜疑心は非常に似ていますが、プロセスが全然違う。

しかし、それが分かる人が少ないから猜疑心と誤解されて、直感や推測が否定されたりします。

カサンドラ状態ですね。

そして、これは洞察力のある人にしか分からない事なんですよ。

だから、この事を理解出来ない人にはピンと来ない。

これもまたカサンドラ状態です。

種族の壁

私は人には3つの壁があると考えています。

●普通の壁

●秀抜の壁

●人という種族の壁

ですね。

人には思考力、技術、センス、体力、知識などなど特定の能力があり、それぞれ能力値が違います。

その能力値が高いほど壁を越えていく。

最初は普通の壁、次に秀抜の壁、そして最後に人という種族の壁を越えます。

人の能力は同じレベルにいる人間が少ないほど理解され難くなり、共感される事が少なくなります。

理解されず共感されない時、人は誰かと関わっていても孤独を感じるものです。

私が能力的な「普通」を定義するなら、普通の壁と秀抜の壁の間であると考えます。

「普通」の人が最も多く、その領域にいる事が最も孤独から遠い。

一方で、普通の壁の手前にいる人や秀抜の壁の奥にいる人はマイノリティとなります。

マイノリティであっても、理解し共感出来る人は存在します。

ただし、人という種族の壁に近づくほど数は少なくなる。

そして、人という種族の壁を越えた時、誰からも理解されなくなり、誰からも共感されなくなる。

その分野で人という枠組を越えてしまったわけです。

これもまたカサンドラ状態ですね。

まあ、通常はそれでも問題ありません。

例えば、誰よりもテニスが上手くなって対等な相手がいなくなったとしても、酒を飲んで馬鹿話をする人は見つけられます。

人生で孤独になる事はないでしょう。

孤独になるのは、あくまで特定の分野の中での話ですからね。

ただ、基本的な思考に関わる事で人という種族の壁を越えてしまうと本当に孤独になります。

例えば、高名な哲学者の多くが孤独を感じます。

普通の領域にいる人からすれば、彼らの言っている事は理解出来ず、彼らの行動は訳が分からない。

彼らの気持ちがよく分からず、共感する事が出来ない。

哲学の道を進むほど、自分を理解出来る人がいなくなってしまう訳です。

だから、基本的な思考に関わる事で、人という種族の壁を越えてはいけないと私は考えています。

それは究極のカサンドラ状態です。

私はこれが

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

の答えだと考えています。

なんかの記事で細かく説明しましたが、何の記事で書いたのか忘れました(笑)

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