「雑記」年輪

雑談系記事
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今回は色々あって私自身の話です。

マイノリティとして生きてきて得た、私自身の学びの話でもあります。

自分語りがしたくなったのと、どんな奴が記事を書いているのか参考になるかなと思って今回の記事を書きました。

多分、ほとんどの人が「何言ってんだコイツ」「頭大丈夫か?」と思うような話だと思います。

人間関係の話

昔の私は人間嫌いだったんですが、今は人が好きだし、人と関わるのも好きなんですよ。

ただ、私は意志がハッキリしている人間なんですよね。

例えば

「これから飯食べに行かない?」

と聞かれた時に

「筋トレしたいから帰ります」

って、普通に言ったりするんですよ。

別に相手が嫌いなわけでもないし、食事に行きたくないわけでもない。

ただ、ルーティーンになっている筋トレを優先したいだけです。

最近あったのは、皆で楽しく談笑している時に

「youtube見たいから帰ります」

って言って帰りました。

話は楽しいものの、他にも興味があるものがあるから帰っただけですね。

これ、一般的な価値観の人からすれば

「何だコイツ」

って感じだと思います。

私が大切にしているものは、一般的な価値観だと重要じゃないんですよ。

だから、一般的な価値観に合わせるのはスゲー疲れるし面倒臭い。

個人的には、人によって大切にしているものが違うから別にいいじゃんって思うんですけどね。

私は人と関わる事と同じくらい自分の世界を大切にするので、基本的にそれが通じる相手と関わるわけです。

で、変な奴が相手ならそれで通るんですよ。

変な奴は大体似たような感じで何かしらクセが強いから、自分が変でも気にする必要がない。

まあ、そもそも変な行動を気にしない人が多いです。

また、私はどんな相手でも四六時中関わると疲れます。

だから、人と合う時は長い時間を無駄に過ごすより、短い時間でどれだけ有意義に過ごすかを考えています。

だから、自分のタイミングでスパッと切り上げたりします。

「よく自衛隊にいられたな」と思う人もいるかもしれません。

ただ、自衛隊は空間的に言えばプライベートの無い集団生活ですが、それぞれが好き勝手な事をしているので心理的にはプライベートがあるんですよ。

昔、私がいた部屋は四人部屋でした。

同じ部屋に四人いても、1人はマンガを読み、1人は勉強し、1人は寝て、1人は筋トレをする。

誰かが「タバコ吸いに行こうぜ」と言い出したら、行きたい奴だけいく。

誰かが「桃鉄やろうぜ」と言い出したらやりたい奴だけやる。

遊びに誘っても「めんどくさい」で断る奴もいる。

逆にどうしても行きたい場合は、誰かが行ってくれるまでアホみたいに駄々をこねる。

遊びに行っても途中で飽きた奴は帰る。

お互いに距離をしっかり守っているわけでもなく、誰かが始めたイタズラに乗っかって寝てる奴の邪魔をしたりもする。

死ぬほどワガママなんですが、皆そんな感じだったから関係が悪化したりする事もなくてスゲー楽だったんですよね。

疲れない人間関係って、最終的に死ぬほどワガママを言い合える関係なんだと思っています。

それは信頼関係が出来ていないと難しい。

まあ、そこまで行かなくても変な奴は気を使わなくて良い人が多いから、私は基本的に変な奴と関わるのを好みます。

結局のところ自分が理解されないからこそ人との関わりが嫌になって…

価値観の合う人間が世の中には結構いると知った後では人付き合いが楽しくなりました。

恋愛の話

私が恋愛においてよく言われていたのが「つかみどころが無い」です。

これ、ほんと理解されない事なんですが…

私の場合、「好きになる」と「付き合う」はまた別の話なんですよ。

普通の人は好きになってから距離を詰めて付き合うまでをセットで考えるものです。

今の私は好きになった相手に執着せず、どんな形にせよ幸せになっていれば良いと考えるようになりました。

好きな事と付き合って上手くいくかどうかは別…という事を理解したからですね。

考え方が隠居したジジイです。

若い頃、付き合う事になった相手に

「毎日必ず電話して、毎週必ず会えなきゃムリ」

と言われて

「じゃあ、付き合うのは無しで」

と答えたらクソ怒らせた事がありました。

まあ、今考えたら当たり前なんですけどね。

気分次第で毎日会うでも月に一回会うとかでも全然構わないんですが、義務化するのは嫌なんですよ。

また、私にとって恋愛は仕事や趣味や運動や買い物とかと同列です。

だから、他の人より恋愛に対する熱意が薄い。

恋愛が人生のメインイベントみたいなテンションの人とは根本的に合わないわけです。

私は、自由を失うのが嫌なわけでもなく、責任を負うのが嫌なわけでもなく

「恋愛だからこうしなくてはならない」

みたいな暗黙のルールが嫌いです。

世の中は一般的にイメージされるような恋愛関係を望む人がほとんどなので、当然ながら合わないわけです。

私は、お互いが自由にしていて、気が向いた時に声をかけるような関係がクソ楽です。

しかし、それだと不満に思う人が多い。

私は1週間くらい平気で連絡しない事が多かったので、「全然連絡してこない」と責められる事がよくありました。

ただ、私からすれば

「話したい事があるなら、そっちから連絡してくれば良いのでは?」

と、考えていました。

もし、相手に必要とされている実感が欲しいなら、回りくどい事をせずに直接聞いてくれば素直に答えますからね。

その方が合理的だし、私が察するよりも話が早いです。

私は恋愛的な情緒が壊滅的に低い。

情緒的なコミュニケーションが上手く出来ない事によって苦悩し、それが理解されない状態を「カサンドラ症候群」と言います。

私は一般的な恋愛を望む人が相手だと、相手をその状態にしてしまい…破綻します。

正直、今でも申し訳なかったと思っていますが、私にはどうする事も出来なかったんですよね。

ドラマみたいな恋愛をする事やSNSにしか興味が無い…という人とは相性が最悪で、私自身もそういう人がスゲー苦手です。

だから、基本的に恋愛より大事なものがある人の方がウマが合います。

また、私は死ぬほど浮気を疑われる事が多いんですが…した事もないし、したいとも思わないんですよ。

そもそも信頼関係が破綻する行為をしたくないのが大きいですが、浮気自体が面倒臭いというのもあります。

「自分の時間が減るやんけ」

というシンプルな理由です。

ただでさえ恋愛に対する熱意が薄いのに、浮気なんてエネルギーを使いそうな事をするわけが無い。

しかし、いつも知らない所で好きな事をしてるから、相手からすれば浮気を疑ってしまうわけです。

そして、それを説明しても理解された事はありませんでした。

普通の人からすれば相当ワケが分からん奴です。

私がモテない最たる理由ですね(笑) 

洞察力の話

私は表情、声色、仕草、または文章などから感情を読み取るのが得意なんですよ。

これは何でかといったら、虐待の影響で人の顔色を伺っていた事と、欠如した共感能力を補うために人間観察を幼少期から行っていたからです。

今まで観察してきて覚えたパターンと、人の心理の知識、観察力を合わせて相手の内面を推測する。

相手が警戒さえしていなければ、目の前にいる人が何を考えているのか、わりと分かるんですよね。

極端な例えだと、人と話しながら心の声が聞こえている感じです。

で、私は他人の心の中をあまり見ないようにしています。

特に人の目を見ると感情がハッキリ分かってしまうので、実は目を見るのがあまり好きじゃないです。

ただ、初対面の人とかには目を見ないと失礼だし、日常会話の中でも目を見たりする時もあります。

その時、私と目が合った人は動揺が顔に表れる事が多いからそれも苦手です。

多分、自然に観察するような目をしているんだと思います。

また、私は察するのが得意なんですが、察するのってあんまり好きじゃないんですよね。

何でかというと、ややこしいんですよ。

私も別に心の中を完璧に見抜けるわけではなくて、人によって10%だったり90%だったりします。

だから、当然ながら推測が間違っている事もあります。

また、私と似たような洞察力を持っている人と接すると、お互いに何となく心の中が見えている感じになります。

私も自分が読める以上は読まれるつもりでいるんですが、腹芸みたいになってしまって微妙にやりずらい。

で…お互い口にもしてない心の中の話をするのは何か変な感じじゃないですか?

私はこれがややこしくて面倒臭いから、いっそハッキリ言って欲しいんですよね(笑)

だから、私もハッキリ言ってしまったりするんですが、それはある程度以上に確証がある人に限ります。

何かして欲しい事があるのは分かるけど、それが何か分からない…という事が結構あるんですよ。

個人的には、これが困る。

聞いても「何でもない」という人が多いですからね。

何かしてあげたいけど、分からんものは分からんし、精度の低い推測では見当違いもあり得るからです。

特に情報量が少ない人やポーカーフェイスの人は今一つ分からんですね。

まあ、この洞察力によって言葉に出来ない心の内を汲み取ったり、隠している痛みに気付いたり…

人を助ける時にはスゲー役に立つわけですよ。

だから、あって良かったなと思うんですが、基本的には面倒臭い能力だと思っています。

贖罪の話

悪性が強かった頃、人間は基本的に汚い生き物だと考えていたので、かなり穿った目で見ていました。 

人の想いを踏みにじったり、誰かの努力を馬鹿にしたり、相手の弱点を暴いて嘲笑ったり…それを善人に対してもやっていたんですよね。

当時は人に対する評価が厳しくて、普通に良い奴も偽善者だと思ってたからです。

まあ、誰しも大なり小なり似たような経験はあるのかもしれません。

人によっては大して気にするような事ではないでしょう。

ただ、私の言葉は殺傷力が高いんですよ。

相手の弱点を見抜いて効果的に攻撃する事が出来る。

タチの悪いことにそれを自覚しておらず、むしろ威力が足りないと思って頭を回転させ全力で暴言を吐いていました。

大抵の人は深く傷つくし、当時の私は相手が泣いても全く心が動かずヘラヘラ笑っていたぐらいです。

サイコパス性が高かったから当時は悪事を働いても人を傷つけても何とも思わなかったし、なんなら優越感すら感じていました。

ただ、心が善性に傾いていくほど、気にしていなかった事が気になるようになる。

私はスゲー記憶力が良い。

ショックを受けて硬直したり、泣き出した人の顔をよく覚えています。

最初は平気だったそれが、段々苦しくなっていきました。

正直、今でも悪人や外道相手なら暴言も吐けるし殴る事も出来る。

ただ、善人が傷つくのはトラウマになっています。

善人がそこに至るまでにある道のりを知っているからです。

で…自分が傷つけてきた善人の経緯を想像すると、泣きそうになるんですよ。

どんな事に耐えてきて、どんな想いを抱いてきて、どんな覚悟をしてきたかが分かるから、それを自分が踏みにじったという事実がゲロ吐きそうなぐらい堪える。

自分でもここまで心が変化するとは予想もしていませんでした。

私にとって人助けは贖罪でもあるんですよね。

贖罪は誰かに償うだけでなく、自分の心を救うためでもあります。

過去は変わらんから、人の為になる事で自分を許していくしかないわけです。

人生は所見殺しが多すぎる。

そこにどれだけ躓いてきたか分からない。

しかし、完璧に避ける事は出来ないし、失敗や敗北や苦痛や恥からしか学べない事もある。

どれだけ話を聞いても経験しなければ身に付かない事もある。

良い事も悪い事も年輪となって自分の嵩を増していると考えています。

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