失われた世界の一般的な価値観

哲学系記事
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古代ローマ帝国、ブリテン島やノルウェーなどの北欧では狼、熊、鷹、鷲など強い動物がモチーフとしてよく扱われていました。

元々は自然信仰から始まり、北欧神話の神々が信仰されるようになっても使われ続けます。

過酷な自然界の中でも生態系の上位に位置し、雄大に生きる強さがある。

そんな姿にあやかっての事です。

かつては強さが善とされていました。

暴力的な話ではなく人としての強さです。

しかし、それは失われていった価値観でもあります。

今回の話は、人によって拒否反応を起こすかもしれません。

善とされる強さ

1000年前の世界で求められる強さは、武力的な強さもありましたが、人間的な強さも重視されていました。

義務を果たす、誇りを守る、誓いを守る、弱者を守る、勇気を持つなどなど…

ヴァイキングみたいな略奪を繰り返す荒くれ集団でもそれは同様です。

血生臭い暗黒時代や中世でも一定の矜持と善性は価値観としてあり、人としての強さがそれを保証するものだったわけです。

しかし、現代日本において「強さ」は敬遠されてきたものです。

強さではなく「人に大人しく従う事」が善とされているからです。

どんな内容でも教師や上司の言う事に黙って従う事が善。

逆に、理不尽にすら反抗する事も悪とされる。

これは多くの人がピンと来るんじゃないですかね?

私はこれに対してずっと違和感を抱いてきた人間なんですよ。

道理に合わない事を正さなければ集団全体の損失となる。

にも関わらず…どんなクソ野郎でも目上の人間に従う事が正しいとされ、従わない人は悪とされるのが一般的な価値観です。

私は誰かれ構わず反抗するわけではなく、著しく道理に合わない事に反抗します。

それを悪だとは全く思っていません。

世の中には理不尽が腐るほどあって、それを飲まなければならない時もある。

しかし、全ての理不尽に従う必要はない。

そして、その理不尽に抗うために必要なものが「強さ」です。

人は大なり小なり理不尽を味わいながら生きていて、私も押し付けられる事が多かったから理不尽が嫌いです。

だからこそ武力も言葉も精神も強さを求めてきたし、それを正しく使う事に拘っています。

ただ、反抗は一つの強さの形に過ぎないものです。

腕っぷしが弱くても良いし、体が弱くても良いし、口喧嘩が出来なくても良い。

人の痛みが分かって人に優しく出来る。

誰かを手助けしようと思える。

何かにすがらずに生きていける。

何かを追い求める事が出来る。

芯を持っている。

…これらもまた人としての強さです。

人としての強さを求めなくなった

ローマ帝国は一方的な征服を繰り返した結果、広大な地域を支配していました。

しかし、相次ぐ反乱によって疲弊し、強大な帝国でも倒れる事になります。

理不尽を押しつけると人は反抗するものです。

だから、歴史上の統治者は支配地域の待遇に気を使っています。

扱いを間違えると荒れる事を知っているからです。

これは、どこにでも言える事ですね。

ただ、今の日本は少し違います。

人に大人しく従う事が善とされるようになり、反抗する人が少なくなった日本はどうなったか?

逆らう人がいなければ上に立つ人間は好き勝手に出来るようになります。

例えば、ブラック企業。

これは日本でしか有り得ない企業の形です。

理不尽な待遇と過酷な労働でも、反抗する人がいないから平然と成り立っています。

1人や2人が反抗して訴訟になったとしても、その他大勢は黙って従うから存在し続けます。

また、道徳や人間性を育てる事を軽視するようになってどうなったか?

他人を害する事や虚飾をする事で自分の価値を偽ろうとする人が増えました。

何かしら人間的な強さがあれば無闇に人を傷つけないものです。

弱い人間が優しいというわけでもなく、自分より弱い人がいれば虐げたりします。

弱者を虐げない事も人が持つ強さの一つなんですよね。

今の日本に漠然とある「人に大人しく従う事」が正しいという価値観。

これは儒教やキリスト教の思想の一部から来ているものと思われます。

それ自体は決して悪い事ではありません。

ただ、上に立つ者や力を持つ者の責任がすっぽ抜けて伝わっているんですよ。

例えば、自衛隊の上下関係。

本来、先輩は後輩を導いてフォローするものです。

後輩のために力を割くし、後輩の面倒を見るから敬われる。

しかし、自衛隊では後輩を奴隷のように扱うだけのシンプルにウゼェ先輩も多いです。

もちろん、そんな奴を先輩として敬うわけがない。

だから、私は反抗していたんですよね。

歳が上だとか立場が上というのは敬う理由にならず、その行いと在り方こそが尊敬に値するものです。

その思想を失った上下関係は、ただの支配者と奴隷です。

しかし、漠然と「人に大人しく従う事」が正しいと信じる人が多く、それが当然のようにまかり通る。

上に立つ者が無責任になり、支配者に都合の良い社会になってしまうわけです。

私は善人が好きだし、善人ならヤクザでもホームレスでも敬います。

もちろん、人には悪性も必ずあるから寛容さも必要だと考えています。

重箱の隅をつつくように人を非難するつもりもないですしね。

当然ですが冗談まで取り上げて否定する気もありません。

私は人に対して堅物でも潔癖でもないですからね。

ただ、著しく道理に合わない事には従わないだけです。

得意な強さ

強さを求めるとは言っても、誰もがマッチョになれとか誰かと喧嘩しろという話ではありません。

人には自分が思う正しさがあって、得意な強さがあります。

ヴァイキングの社会も戦士ばかりがいたのではなく、様々な役割の人がいて支えられていました。

現代社会も同じです。

反抗する事が苦手でも誰かに優しく出来る人もいるし、優しくする事が苦手でもシステムを改善する事が得意な人もいる。

争いが苦手でも先へ進んで開拓する勇気を持つ人もいるし、主役にならなくても人を支えるのが得意な人もいる。

全てのバランスが良くてフォローが得意な人もいますし、大勢の心を支える事が得意な人もいる。

理不尽に反抗して人の盾になるのは、私みたいな人間の役割なんですよ。

それぞれが協力して、得意な事で社会の力になるほうが合理的です。

そこに優劣は無いと私は考えています。

自分のためだけでなく、相手のため、集団のため、組織のため、社会のためという考えが加わると本当の協力が出来る。

何かのために何が出来るか。

真に強さを求めるという事は、その考えを持って歩き始める事でもあります。

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