「運」という概念

哲学系記事
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運という物は存在する可能性が極めて高いです。

ただ、多くの人が運と感じているものは概念としての運と言えます。

物事には因果関係があり、それを解いていけば避けられる不運もある。

ただし、どうにもならない事もある。

今回は、運という概念についての話です。

因果を解けないものが運

世の中には因果というものがあります。

例えば、

「運転していた車のエンジンが止まった」

という現象が起きた時。

車を運転してガソリンを消費

ガソリンが無くなる

エンジンが止まる

という一連の出来事があったとします。

この場合、車のエンジンが止まるまでに明確な経緯があるわけです。

この現象が起きるまでの一連の経緯と結果を「因果」と言います。

普通に考えて、全ての因果を解いていけば未来が分かるように思えますね。

全ての因果が分かる理論上の存在を「ラプラスの悪魔」と言います。

ラプラスの悪魔には未来が分かるから運という概念は無く、全てが原因と結果でしかないという仮説が立てられました。

しかし、世の中には完全なランダムが存在する可能性が発見されています。

量子の世界の話ですけどね。

ゆえにラプラスの悪魔でも未来は完全に予測出来ないとされています。

だからまあ、現状は運というものが存在する可能性は極めて高いんですよ。

ただ、大抵の物事にはやはり因果がある。

因果を解いていけば運という概念は少なくなっていくように思えます。

昔の同僚が自転車で走行中、車に跳ねられました。

その時、同僚は「運が悪かった」と述べています。

しかし、現場の詳細を聞くと…

同僚は見通しの悪い交差点でも減速せず、一時停止線を無視して飛び出したそうです。

車を運転している人なら、これがスゲー危ない事がよく分かると思います。

同僚は、この因果が分からなかったんですよ。

だから「運が悪かった」と思うわけです。

しかし、私からすれば当然の結果なわけで、それは原因と結果でしかない。

つまり、基本的には因果を解ければ原因と結果で、因果を解けない領域の出来事が運として認識されているわけです。

まあ、人に全ての因果を把握する事は出来ないので、「運が悪かった」という感情は誰しもが感じる事なんですよ。

見方によって変わる

例えば、埼玉県に巨大な隕石が落ちてきて、一切予想出来ずに埼玉県民が全滅したとします。

この時、埼玉県民はスゲー運が悪いという事になります。

では、

あらかじめ隕石が予想されていて、一週間前から避難警報が出されていたが、避難しなかった人がいて死者が出た。

これだと、運が悪いものの自業自得のように思えます。

では、

50年前からその日に隕石が落ちる事が確定していて、誰もが周知していたのに避難しない人がいて死者が出た。

これは運が悪いとは言えないと思います。

因果が解き明かされていくほど運の要素は減っていくわけです。

ただ…この場合、避難しなかった事による死は自業自得ですが、そもそも隕石が落ちる事自体は運が悪いと思いません?

もう少し分かりやすい例えをすると…

一度も隕石を経験しない人と、自分の行く先々で隕石が落ちる人がいたとします。

避難警報で毎回無事だったとしても、後者は前者よりも悪い因果に出会っています。

悪い因果に出会う事、これも運だと思うんですよ。

悪い因果に出会うという事は解けない因果ですからね。

避けられる悪い因果も当然ありますが、誰にも避けられない悪い因果も存在します。

これがある以上、人によって運の良し悪しというものがあるわけです。

捉え方によって変わる

前述の話からすると私はクソ運が悪い事になります。

親ガチャ…というか、家族ガチャを盛大に外し、

警察時代は同期よりも精神的にキツイ状況や現場が多く、

自衛隊時代はスゲー荒っぽい部隊に配属されました。

細かい事を挙げるとキリが無いんですが、まあ過酷な環境に出会う可能性は高かった。

これは人から見たら運が悪いと思います。

ただ、当時は私もそう思っていたものの、今は逆に良かったとすら思っています。

それらの経験があったから得た能力や覚悟や人間性があり、今の私を形作っているからです。

私は自分がスゲー好きですからね(笑)

もしスゲー温い環境で生きてきたら…私の場合、今頃は甘ったれた無能だったと思います。

今の私に至るまでに必要な因果だったから、運が悪いとは思わなくなりました。

つまり、結果が好転すれば運が悪いとは言えなくなるわけです。

ただ…私の場合は特殊なだけで、どうにもならない不運もあるものです。

予測出来ない事故とか病気みたいに失うばかりのものも当然ある。

それを本人の努力不足みたいには言いたくないです。

だから、不運に嘆くのは仕方ないと思うんですよ。

その不運による苦しみは実際に存在しますからね。

ただ、どうあがいたって不運の結果は自分で背負っていくしかない。

嘆いて立ち止まるほど傷口が広がってしまう。

私はそれが分かっているから、不運な人を立ち止まらせたくない。

当事者が辛い事なんて痛いほど分かってるんですよ。

決して責めたい訳じゃない。

私もそういう人達の事情を理解出来るから、厳しい事を言いたくはないんですよね。

それでも辛い事を無くすために前を向いて欲しい。

だから、私は人に出来る限りの因果を解かせます。

それは嘆いていては出来ない事なんですよ。

今回の記事は、そんな事を思いながら書きました。

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