「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

哲学系記事
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ドイツ帝国の宰相にして、「鉄血宰相」の異名を持つオットー・フォン・ビスマルク。

彼の有名な言葉が

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 

です。

ただ、この言葉は日本語訳の仕方が微妙で、勘違いされやすくなっています。

実際の直訳は

愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

で、正確に意味するところは

「愚者は自分の経験からしか学ばないが、賢者は自分だけでなく他人の経験からも学ぶ事が出来る」

という感じですね。

さらに…この言葉には続きがあるそうです。

今回は、そんな話です。

賢者は歴史に学ぶ

ここで言う歴史とは、前述の通り他人の経験の事です。

例えば、数学は人類が長い時間をかけて練り上げた学問です。

有史以前…記録に残っている歴史よりも遥か古代から数の概念は存分し、今日に至るまで人の手によって発展してきました。

現代では、大抵の人が計算を行う事が出来ます。

それは歴史の中で人類が作り上げてきた数学を習ったからです。

では、誰にも習わなかった場合、自力で計算が出来るようになったでしょうか?

足し算、引き算くらいなら自分で思いついたかも知れません。

しかし、二次方程式ぐらいになってくると自力で編み出せる人はまずいないでしょう。

誰かに習わなければ大抵の人が今ある数学に辿り着かない。

自分の経験だけでは限界があります。

数学を発展させてきた人々の経験に学んだからこそ、多くの人が計算を使いこなせるわけです。

ただ…数学は他人の経験を学んだだけでなく、計算を解く事で自分も数学を経験しています。

実際には、他人の経験と自分の経験が合わさったものです。

自分が一切経験していない事を他人の経験から学ぶ事は難しい。

例えば、一度も風邪を引いた事が無い人は、風邪の予防をしようとは思わないでしょう。

自分が体調不良を経験して、ようやく風邪を予防しようと考えられる。

ただ、風邪の辛さは全く分からないけど、他人が辛そうな姿を見て予防する人がいたら賢いと言えます。

人は自分が経験した事が無い物事に対して他人事に考えやすいです。

最近だとコロナウイルスが良い例ですね。

どんなにニュースで死者数を報道しても…自分自身が感染するか身の回りに重症化した人がいなければ、大して警戒しようとも思わない。

なんやかんや、多くの人がこんな感じだったと思います。

経験しなければ感覚的に危険を感じませんからね。

ただ、賢者は論理で危険を捉えます。

コロナの感染者数や死者数、自国や他国の状況などから見て必要な警戒を行う。

論理的に考えられると歴史から学べるわけです。

逆に論理的に考えられないと学ぶ事が出来ません。

感覚だけで考えると自分の知らない話を聞いても現実感が無いからです。

「身辺警護なんて仕事が日本にあるわけがない」

なんて事をたまに言われたりします。

歴とした警備業なんですが、その人にとってはファンタジーな世界の話なのでしょう。

生きてきた世界が違うと感覚も違うもので、それは私が他者に対して死ぬほど味わってきた事でもあります。

「警察に捕まるから人を凶器で襲う奴なんていない」

と、言う人も結構いますからね。

だからまあ、感覚だけに頼ると現実から遠ざかるわけです。

本物の愚者はマジで歴史に学ばない

まあ、歴史に学ばないからといって、全ての人を愚者と決めつけるのは極端だと思います。

例えば、交差点から飛び出さないとか信号を守るとか…

身近な物事なら、大抵の人は経験してなくても危険を回避しようとします。

ただ、そういうレベルの事でも経験しないと分からない人はいるものです。

自衛隊とか消防団とかでたまに起きる事故で、「直腸破裂」があります。

業務用コンプレッサーのホースを部下や後輩のケツの穴に入れて空気を送りこむ…

というロクでもないパワハラの結果、直腸が急激に膨らんで破裂する。

数年事に起きる事故…というか事件で、大抵の被害者は死亡するか重い傷害が残ります。

やっている連中の頭の悪さは相当なもので、死亡した事例があって注意喚起をされていてもやろうとする。

で、大事件になる。

「こんな事になるとは思わなかった」

が、加害者のテンプレートな回答です。

マジで歴史に学ばないんですよ。

本物の愚者は、他人の心臓をナイフで刺しても

「死ぬとは思わなかった」

と言い出すものです。

セキュリティの人間としては、頭の切れる悪党よりも本物の愚者の方が厄介ですね。

これは想像力の欠如が原因なんだと思います。

「ナイフで刺す→大量出血する→死ぬ」

普通の人はここまで想像出来ます。

しかし…

「ナイフで刺す→後はよく分からない」

が、本物の愚者の思考です。

人を刺した事が経験が無いと結果が想像つかないからです。

別に知的傷害や精神疾患があるわけではなく、単純にそういうレベルの思考力なんですよ。

読んでいる人は「嘘だろ!?」と思うかも知れませんが、こういう人は普通にいます。

もっと身近な例だと

「相手の気持ちになって考える」

が、ありますね。

これをやる為には自分の身に起きたと仮定して、状況を想像する能力が必要です。

しかし、これが出来ない人は多いです。

これもまた想像力の欠如で、これが出来ないと他人の経験から学ぶ事が難しくなります。

聖人は経験から悟る

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

これに続く言葉が「聖人は経験から悟る」だそうです。

ただ、ソースが微妙で出展が確認出来ません。

多分、ビスマルクの言葉ではなく、後から勝手に付け足された言葉なんじゃないかと考えています。

当然ながら調べても意味らしい意味も出てこない。

だから、私が勝手に意味を考えようと思います(笑)

聖人とは高潔で徳が高く、生き方の模範となるような人物の事です。

こういう人物はとにかく視野が広いんですよ。

自分1人より全体の事を考えるような思考を持っています。

この思考からは得る物が多い。

例えば、野菜炒めを作る時。

愚者はとりあえず切った野菜をフライパンにぶち込んで手探りで作り方を覚えていく。

賢者は作り方を調べた上で、手順に沿って作り方を覚える。

だから、愚者に比べて賢者は失敗しないわけです。

では、聖人はというと…

野菜炒めを作りながら、人に作り方を教える事を考えます。

そのため、愚者や賢者よりも細かく作り方を理解する事が出来る。

さらに、より良い方法を探して試行錯誤を繰り返します。

その結果、他人の経験よりも良い物を生み出す事になる。

分析と応用によって、一を聞いて十を知るわけです。

だから、愚者や賢者よりも深く理解する事が出来て、それゆえに「悟る」…というのが私の考えです。

つまり、早い話が…

●愚者=無知な人
    何も調べない人

●賢者=知識がある人
    ちゃんと調べる人

●聖人=分析と応用が出来る人
    自分で答えを出せる人

って事です。

タイトルの言葉だけを聞くと自分の経験を信じる人は愚者で、他人の経験を信じる人が賢者みたいな勘違いをしそうですね。

「百聞は一見にしかず」とあるように、自分の経験から学ぶ事は非常に大切です。

ただ、自分の経験だけを信じるのが問題であって、経験する事を否定しているわけではありません。

実際、ビスマルクは自分の経験から得た自分の考えをしっかり持っています。

冒頭の言葉は、まさにビスマルク自身の経験から得た学びですしね。

他人の経験から学ぶだけなら、それはただのマニュアル人間です。

自分の経験も他人の経験も必要なものなんですよ。

それに加えて分析と応用が出来ると尚良いですね。

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