イマジナリー他人

哲学系記事
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人は知り得た情報を基にして他人を見ています。

「優しい人」と感じるのは、その人の行動や雰囲気から優しさを感じたり、評判を聞いたりするからです。

では、顔も名前も知らない他人に対してどう思うでしょうか?

明確な情報も無く自分が作り出した他人のイメージ、つまりイマジナリー他人ですね。

この漠然とした他人に対するイメージが、自分の心象を表しています。

今回は、そんな感じの話です。

人の見方がイマジナリー他人になる

例えば、他人の粗を探してマウントを取りたがる人。

私が知る限り、この手の人で安定した精神の持ち主は1人もいません。

この人達は「他人から責められる」という恐怖心を抱えているからです。

多くの人は他人に責められる事を経験します。

その数が多かったり、重く受け止め過ぎると他人への恐怖心になる。

恐怖心から攻撃性が生まれる事もあり、それが他者へのマウントに変わるわけです。

昔の私がまさにこんな感じでした。

この時、私が他人に対して持っていたのは

「些細な事でも責めてくる」

という、スゲー嫌なイメージです。

イマジナリー他人が嫌な奴だから他人を怖がり、他人が怖いから自分が上になろうとしてマウントを取る。

で、これを続けるほど他人が怖くなっていったんですよ。

私の持論に

「人は自分を基準に他人を見る」

というものがあります。

マウントを取るために他人の粗を探したり、怖がるあまり警戒して悪い部分ばかりを見ようとする。

すると、他人は自分の悪い部分ばかり見ているように感じてしまいます。

自分が他人を悪く見るからこそ、他人も自分を悪く見ていると無意識に思うわけです。

この状態になると100の肯定意見より、1の否定意見の方が重くなります。

他人を肯定的に見れないと自分に届く肯定意見を上手に受け取れなくなり、否定意見は受け取りやすくなるからです。

人に恐怖心を抱いてしまうと悪循環に陥ってしまうんですよ。

この負のスパイラルから抜け出すには…

メンタルの強化ではなく、他人を見る目を変える事です。

まず疑いと事実を分ける事。

現実問題として世の中にはスゲー嫌な奴もいれば、救いようの無いヤベー奴も存在します。

しかし、他人の何気ない言動を猜疑心から悪く捉えているパターンも多いです。

当然ながら世の中には善人も多くいます。

だから、根拠のない疑いで人を判断せず、事実を元に判断する必要があります。

例えば、警察官には嫌な奴もいます。

嫌な警察官と接した人は「警察官はクソだ」と考える人が多いです。

しかし、実際には善良な警察官も多いです。

この場合、「嫌な警察官もいる」が事実であって、「警察官は嫌な奴」は単なる疑いというわけです。

「警察官は嫌な奴」みたいに全体的に悪いイメージを持ってしまうと警察官そのものが怖くなってしまいます。

どんなカテゴリーにも良い人や悪い人はいるものです。

悪い人だけを見てそのカテゴリーを悪いと思ってしまうと…カテゴリーそのものが怖くなってしまうわけです。

次に「人の良い所を探す」がスゲー大切です。

自分が他人の粗を探すから他人も自分の粗を探しているように感じてしまう。

だから逆に、自分が他人の良い所ばかりを見ようとすれば、他人も自分の良い所を見てくれると感じるようになります。

恐怖心は猜疑心へ変わり、様々な誤解を生む。

人の良い所を見つけていき、悪い所に対しては寛容になる事で人への恐怖心は薄れていくものです。

許す努力

近年のSNSで攻撃的なコメントが多いのは、それだけ精神が不安定な人が多いという事ですね。

私は人の負の部分に突っ込んだ記事を書いたりします。

それは必要があってやっている事ですが、他者の恐怖心を煽る事があります。

だから、私みたいなのは誹謗中傷されても仕方ないんですよ。

ただ、多くの人は誹謗中傷されるような謂れはありません。

些細な事で責められる時は、基本的に相手が悪いです。

その否定意見は大海に浮かぶ泡のようなもので、小さく、か弱く、儚く、無数に浮かんではすぐに消えてしまう程度のものです。

論理的な理由が無く、個人の感情で些細な事を責めてくる…それは精神が幼い人の特徴なんですよ。

駄々をこねているのと同じ心理です。

この手の人達に責められないのは不可能で、僅かなスキマをこじ開けるように屁理屈をねじ込んできます。

だから、「責められないようにしよう」と考えるのは悪手です。

相手は大人じゃないから、どんなに対策しても納得はしません。

私は基本的に無視なんですが、それが出来ないなら幼子をあやすように接すると良いと思います。

そうすると誹謗中傷してくる他人のイメージが「子供」になります。

子供を怖がる人は少ないでしょう。

ただ、この時「相手はガキなんだ!」ってプンスカしながら考えても効果は無いです。

それは攻撃された自分を無理矢理に慰めているだけですからね。

相手に対して怒りを持たず、自責の念も持たず、あやすように「ごめんね」って思えるようになると効果的です。

だから、怒りや不安に流されず、まずは相手を許す努力をした方が建設的です。

まあ、簡単じゃないですけどね。

ただ、本当にどうしようもないなら、ぶっ飛ばすか逃げるしかないです。

敵か味方か

今回の話で一番伝えたいポイントがここです。

他人の事を敵か味方みたいに極端に考える人がスゲー多いんですよ。

明確に自覚しているわけではなく、深層心理でそうなっているパターンが多いです。

世の中には敵もいるかもしれません。

ただ、基本的には味方か、どちらでもない人がほとんどです。

敵か味方になる場合は、何かしらの特別な感情があってそうなります。

それが無ければ基本的にどちらでもない。

どちらでもない人の在り方は様々で…

人ではなく正しい意見に従う人、自分の考えがハッキリしている人、自分に興味が無い人、他者に盲信している人、自分の事が嫌いな人などなど。

どんな超有名人だとしても、圧倒的に「どちらでもない人」が多いんですよ。

しかし、敵か味方で考えると自分に不都合な相手は全て敵になってしまう。

例えば、私のブログに対して肯定意見を持つ人が味方というわけでもなく、否定意見を持つから敵というわけでもないです。

私の意見は神の啓示ではありませんし、所詮は一個人の意見です。

肯定する人や否定する人がいるのは当たり前の事です。

良識がある人が多いから、個人に対してわざわざ否定意見を言わない人が多いだけです。

で、敵か味方かの二極化をしてしまうと…人に嫌われたり見下される事がスゲー怖くなります。

味方じゃなかったら敵になってしまうわけですから。

だから、人に気に入られようとして無理をしてしまう。

自分に好意的なら味方、そうじゃないなら敵みたいな感じですね。

だから、わりとすぐに人との関係を切ってしまう人が多いです。

さらに、自分が二極化してしまうと、イマジナリー他人も敵か味方で考えていると思ってしまう。

些細な事で敵と判断されると思い込む。

そうなると、全ての人が味方じゃないと安心出来なくなってしまう。

そのため、めちゃくちゃ他人が怖くなります。

基本的に味方は得難いし、敵は簡単に生まれないものです。

で、味方になったら簡単には縁が切れないものなんですよ。

しかし、二極化して自分から切ってしまうと普通に切れます。

私は、味方する人のダサい部分や悪い部分を知っているし、迷惑をかけられる事もある。

怒る事もあるし、問題を指摘する事もあります。

逆に、私の味方をする人も私に対してそんな感じです。

それでも嫌わないし離れようとは思わないです。

二極化して考えない人は、基本的にこんな感じなんですよ。

人に嫌われても敵になるわけではなく、有象無象の中の一人になるだけです。

味方じゃなくなった人から攻撃されるのではなく、良識に欠けたヤベー奴が攻撃してくるだけです。

だから、人に嫌われる事って大した問題じゃないんですよ。

どちらかというと、人を嫌わない事の方がスゲー大事です。

イマジナリー他人に対して嫌われる事を恐れるようになってしまいますからね。

まあ、全ての人を嫌わない事は不可能なので、他人の自分に対する態度だけで嫌わないように気をつければ大丈夫です。

嫌われても案外どうとでもなるし、私が関わる人も第一印象では私の事が嫌いだった人も多いですからね。

人間関係が消滅する一番の理由は、「嫌われる事」ではなく「関わる意思を持たない事」です。

関わる意思を持っていれば一年連絡を取らなくても関係は切れないものですが、関わる意思が無ければ1ヶ月で切れたりします。

関わる意思は他人のイメージによっても影響されます。

イマジナリー他人を優しい良い人にしていくほど、人と関わる意思が強くなる。

そのためには自分の心の在り方が大切なんですよ。

まあ、他人に対する恐怖心は…そもそも平気で他人を害する人間がいるから生まれるものです。

そういう人間に一方的に害されただけでなく、恐怖心を植え付けられ、その克服までしなければならない。

これは本当にスゲー理不尽で、被害に会った人を見る度に胸糞悪くなります。

ただ、色々な悪党や嫌な奴を見てきた私が言える事は、

「大した理由も無く他人に悪意をぶつける人は、マジで大した奴じゃない」

です。

これ、感情的になって言ってるわけではなくて、本当にそうなんですよ。

私に殺害予告を送ってきた人は、誰1人として私と会ってくれませんでした。

恐れる必要は無いし、怒るのは不毛です。

そういう人達は目立つものですが…

それよりも良い人達を見て、人の良い所をもっと知って欲しいと思います。

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