思想の独立

哲学系記事
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私のブログの主題の一つでもあるのが、自分の考えを持つ事です。

最近、会社を起こそうかなーと考えていて、改めて考えをまとめたのが今回の記事です。

タイトルにある思想の独立は…今信じている思想をベースにして、自分オリジナルの思想を作っていく事を指しています。

まあ、そもそもゼロから思想を作るのは難しいので、信じるものがあるなら自分の考えを加えて作る方が早いんですよね。

今回は、そんな感じの話です。

ケースバイケース

「大人の言う事をちゃんと聞きなさい」

誰もが一度は聞いた事がある言葉だと思います。

これって本当にケースバイケースなんですよ。

真剣に子供の事を考える大人なら、子供のうちは基本的に従った方が良い。

しかし、とんでもないクズなら従わない方が良いですよね。

定型文みたいに物事を単純に考えてしまうと、一般常識や社会通念を疑わなくなるものです。

そして、自分とは違う人生を想像出来なくなってしまう。

子供は生きるために大人に従わざるを得ないものですが、それを周りが正当化してしまうと別の問題が発生します。

子供に窃盗を働かせる親もいるわけで、その親の元に育つと窃盗が当たり前になってしまう。

現実問題として大人に従わざるを得ないとしても、「大人に従う事」そのものを正当化したら必ず歪みが生まれるわけです。

日本の一般常識や社会通念は、立派な人間性を備えている人が社会を作っている…という前提で作られています。

そこに人間性が低い人が混じっていると破綻するんですよ。

人間性を軽視して、人間性を育てる事が忘れさられつつある今の社会では…正直、合わないんですよね。

自衛隊には

「上官の命令に服従する義務」

というものがあります。

作戦行動中に指揮系統が乱れたら作戦自体が破綻するから、命令には黙って従えという義務ですね。

ただ、これは上官が結果に責任を負う事が前提なんですよ。

「全ての責任は上官が取るから黙って命令に従え」

というのが本来の意味です。

で、後輩が出来たばかりの若い隊員がよくこの言葉を使うんですよね。

一般社会だとパワハラやイジメとして扱われるような事を後輩にする時、この言葉を使うわけです。

まあ、当然ながら結果に責任なんて取れないんですよ。

言う側も言われる側も言葉自体の正しさについては考えず、盲目的に従っているわけです。

そんな経験から私は命令に従う時「相手が責任を取れるか」を重視して見ます。

責任を取れないなら絶対に従わないし、これは今でもそうです。

「上官の命令に従う義務」

これを後輩に対して使っていた隊員も、別の先輩から言われた時は不満そうにしていました。

大抵の人は立場が変わると言う事が変わるものです。

まあ、これは普通の事です。

ただ、相手の置かれている状況を考えずに自分の立場から話してしまいがちです。

人はそれぞれ置かれている状況が違います。

ケースバイケースなんですよ。

自分にとって正しい事が相手にとって正しいかは分からない。

その上で自分の正しさを押し付けるなら、ちゃんと結果に責任を負わなければならない。

その覚悟が無いと「無責任」になってしまうわけです。

で、私が一般常識や社会通念を押し付けてくる人が苦手な理由がこれで…

それが当然だと考えているから、基本的に責任を取る気が無い。

従った結果、私が不幸になっても知らん顔をするのが目に見えてるんですよね。

基本的に自分の行動は自分が責任を負うものです。

無理矢理に価値観を押し付けられた上に責任まで取らされるのは理不尽だと思っています。

私は人のお願いは結構聞くんですが、指示や命令は責任を取る覚悟がある人の言葉にしか従わないです。

当然ながら自分も無責任な指示や命令を出さないように気をつけていて、そうすると指示や命令をする事が少なくなりました。

群衆からの脱却

自分で判断して自分で結果の責任を負う事。

これは慣れない人には怖いものなんですよ。

そのため…誰かが言った事を信じて、それが間違っていたら言った人を批判する。

これをやると、責任を負わずに堂々と自分の正しさを主張出来る。

だから、誰かの言う事に従うと安心する人が多いわけです。

ただ、これは諸刃の剣なんですよ。

自分の思想が群衆と同化してしまうからです。

個人を都合良く操る事はまず無理ですが、群衆を誘導する事は比較的簡単です。

群衆が向く方向しか向けなくなるから、自分の間違いにも気が付かなくなる。

誰かが発言して、それを支持する人が集まる。

すると、支持する人がいる事実を見て支持する人も集まります。

大多数の人は発言の内容ではなく、大勢に支持されているから発言している人を信じるわけです。

だから、めちゃくちゃな事を言っている政治家が何度も当選するし、わけの分からん法案が通ったりします。

多くの人は思想が群衆の中にあります。

逆に思想が独立した人は、自分の考えで正しさを判断するものです。

某環境大臣の人がヤベー事を言っている時、群衆は大絶賛だったわけですが自分で考える人達は冷静に指摘していましたね。

この群衆の特性は歴史上死ぬほど繰り返されてきた事なので無くなる事はありません。

ただ、自分が群衆から脱却する事は出来るんですよ。

地下鉄サリン事件を起こしたオウム心理教の信者にとっては、自分が信じた新興宗教が犯罪集団だったわけです。

自分の宗教を盲信して犯罪に手を染め、逮捕された信者もいます。

どんなに手の平を返してオウム心理教を非難したとしても、自分が被った不利益は消せません。

信じる物をミスった時、大惨事になる事もあるわけです。

で、信じる物の判断を他人に委ねると…完全に運否天賦になってしまうんですよね。

ただ、独立した思想を持つのは難しい。

それだけ自分の考えや判断を信じられないといけませんからね。

だからまず、自分が信じる思想を学びながら自分の考えを持っていく。

そこから思想の独立を目指していく事をオススメします。

一朝一夕では出来ないので、少しずつですね。

注意点として

●自分に都合の良い事ばかりが正しい

●自分が正しくないと嫌だから自分が正しい

という状態になってしまうと、確実に悪い方向に向かいます。

判断基準を感情論にしてしまってはいけないわけです。

ユニークであれ

自分と考えが近い人は接するのが楽ですが、自分と違う考えの人がいるからこそ発展があります。

例えば、軍隊や保守的な組織なら考えが近い人ばかりの方が上手くいくんですよ。

発展よりも維持していく事が大切ですからね。

共同生活とか結婚も同じです。

ただ、ベンチャー企業みたいに集団を発展させたい時は同じ考えの人ばかりだと微妙です。

極端な話、全員が同じ考えなら1人で考えているのと大して違いはありません。

その1人が間違っていても、誰も間違いに気が付かないし、新しいアイデアも生まれない。

集団のメリットが一つ失われるわけです。

ただ、自分と考えが違う集団をまとめるのはスゲー大変だから、集団の長は自分に近い考えを持つ人や自分に合わせる人を好みます。

保守的な組織で他人に合わせる人が出世しやすいのはこのためです。

日本は人に合わせる文化が根強いので、組織も保守的になりやすい。

普通に生きるなら合わせる方が特なんですよね。

ただ、それが出来ないマイノリティがいます。

人と考えが違う人は…実は考え方が違う事自体が実力に繋がりやすいです。

例えば、ブログを書くにしてもwikipediaと同じ内容しか書けなかったら、誰もがwikipediaを見るでしょう。

記事の中にその人のオリジナルの考えがあるから需要が生まれるわけです。

ただ、保守的な組織では嫌われやすいので、ガンガン成長する組織や自分で何かを始める事に向いています。

逆に言えば、そういう世界で戦うなら思想の独立をした方が有利なんですよね。

ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は「ユニークであれ」と言っています。

独創性を重視する欧米らしい考え方ですね。

まあ…前述の通りユニークじゃない方が上手くいく事も多いのが日本社会です。

しかし、普通からあぶれたのなら…とことんユニークでいた方が良いと私は考えています。

普通に合わせるのが得意な人には普通の分野では敵わない。

なら、ユニークさを貫いて自分にしか出来ない事で戦った方が有利です。

そのユニークさへの第一歩が、自分で考えて自分で答えを出す事なんですよ。

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