怒りは爆弾、憎しみはハリネズミ

哲学系記事
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怒りや憎しみというネガティブな感情は人間なら持ってしまうもので、大切なのは抱かない事ではなく処理の仕方です。

怒りや憎しみで人を傷つける人が多い昨今、それによる被害者も増え続けています。

怒りや憎しみは連鎖しやすく、加害者もまた何かの被害者である事が多い。

それでも、自分も他人も幸せになれないような感情の発散の仕方は良くない。

今回は、そんな感じの話です。

怒りは爆弾

人は自分に対して怒る人が嫌いなんですよ。

自分に対して怒る人に感謝するパターンがあるのは、怒りの中に心配の色が濃い場合です。

怒りではなく心配してくれる事に感謝しているんですよね。

怒り自体はどこまで行っても自分の都合なんですよ。

何に対してキレるかは人それぞれで

●自分や持ち物に対して危害を加えられた

●自分の予定や目論見を侵害された

●公共の秩序や道徳が守られない

みたいに理由は様々ですね。

怒りは原初的な感情なので、完全に抱かない事はまず無理です。

さらに…怒りは強いエネルギーなので、無理に我慢し過ぎるのは良くないものでもあります。

かといって人に向けると不利益になる事が多いです。

特に、部下や子供など自分より弱い人間に怒りを向けると致命的に信頼関係が破綻してしまったりする。

人が怒りを受け入れられるのは、自分の方が精神的に対等以上になれる相手だけですからね。

「叱る」と「怒り」を混同している人も多いですが、叱るという事は

「相手の間違いを指摘して正す事」

なので怒る必要は無いんですよ。

諭せば良いだけです。

怒りで従わせる事は「脅迫」なので、信用されないし好かれもしない。

よく怒る親や上司は、子供や部下からめちゃくちゃ嫌われます。

最終的に言う事を聞かなくなるんですよ。

だから、怒って見せるのは最終手段です。

よっぽど話が通じないとか緊急性のある事じゃない限り、デメリットが強いからです。

それでも多くの人が怒りで指導してしまうのは、それが指導だと勘違いをしているか、単純に怒りが我慢出来ないから怒鳴ってしまうだけです。

怒りを堪える事は欲望の我慢に近く、理性が必要になります。

これは時間をかけて修養しないと身に付かないものです。

ただ、人は余裕が無い時ほど怒りっぽくなります。

どうしようもない事を除けば、先回りして余裕を持った行動を心掛けるだけでも怒る頻度は減ります。

リスクヘッジが重要になるわけです。

また、人は自分より上の立場だと認識している人の不誠実に怒りやすいです。

欧米なんかだと管理職の素質として

「高潔である事」

が求められていますね。

ただ、そんな人は滅多にいないです。

まあ問題は必ず起きるものなので、間違いを認めて素直に謝れるかどうかが重要なポイントだったりします。

普段から無理に上になろうとせず対等に接していると、不誠実でもわりと許して貰えたりもします。

自分も他人も怒りを抱くものなので、それをどう捌くかが生きやすさに直結します。

怒りを感情のままに爆発させていると、あらゆる物を失ってしまう。

怒りは爆弾というわけです。

憎しみはハリネズミ

憎しみとは簡単に言うとスゲー嫌いになる事です。

自分が大切にしているものに危害を加えた人に対して憎しみを抱きやすい。

そのため、場合によっては怒りと同時に抱く事もあります。

普通に嫌いになる事と違って、憎しみは他人に執着します。

自分が背負ったマイナスを清算しようとするからです。

自分の大切な物を壊されたから、何とかして償わせようとする…みたいな感じです。

ただ、憎しみは自分勝手な理由も多いんですよ。

例えば、スゲー人と自分を比較して、自分の価値が下がったように感じて憎しみを抱く。

いわゆる嫉妬で、誹謗中傷の主たる原因がこれですね。

人は期待を裏切られた時にも憎しみを抱く事があります。

自分の理想を相手に押し付けて、その通りじゃなければ不満を持つ。

これは、相手が自分の期待に応えてくれない事で、自分に都合の良い世界観が壊れてしまうからです。

自分が大切だから「自分の価値を下げた」と感じるものに憎しみを抱くわけです。

他には、自分が大事にしている人を傷つけられたと感じた時に憎しみを抱きます。

それ自体は人間らしい事ですが、攻撃性に転化しやすいのが問題なんですよ。

その人の変わりに報復しようとしてしまうんですよね。

私は報復を肯定していますが、それは自分が必要だと感じた時に自分で行う場合に限ります。

自衛のためだったり、ネガティブな気持ちを引きずらないために冷静になって行うものです。

他人の報復を勝手に行うべきではないし、そもそも本人が報復を望まない事も多いです。

勝手に報復をしようとすると、傷ついている人を余計に傷つける事にもなる。

だから、憎しみを抱いたら暴れるのではなく、まず傷ついた人の言葉に耳を傾ける事が大事です。

何かに対する憎しみが強いと、自分の周りから人がいなくなります。

憎しみが自分に向けられていなくても、それが自分に向く可能性を考えてしまうからです。

何に向けられていようと、憎しみ自体が他者を傷つけ遠ざけてしまう。

憎しみが強い人はハリネズミみたいな状態になってしまうわけです。

だから、人を嫌わないようにする事が大切なんですよね。

憎しみは自分の事なら報復するか許すか、他人の事なら本人に任せるかして、さっさと捨てた方が良い。

嫉妬や期待を裏切られた場合、根本的な原因は自分の価値が低い事なので…誰かを引きずり下ろしても違う誰かに執着しするので終わりがありません。

解決するには努力して自分の価値を積み上げるしかないです。

怒りや憎しみとは縁が切れない

怒りや憎しみは生き物である以上は抱いてしまうものです。

それを抱いてはいけない…というのは現実的ではありません。

ただ、抱かないように気をつける事は出来るし、抱いた時にどう処理するかが大切になってきます。

感情のままに怒りを爆発させ、激しい憎しみで周りを傷つける。

それでは獣と変わりがありません。

人であるならば理性が必要です。

怒りや憎しみに囚われる事は簡単なもので、時に快楽すら感じます。

しかし、その短絡的な振る舞いは一瞬の快楽と引き換えに長期的な信用を失うものです。

だから、理性ある人は自分を抑えようとする。

爆発する事を正当化しないんですよ。

私自身、怒りや憎しみを抱くもので、それを自分の中で処理するように心掛けています。

それが出来ず、表に出てしまった場合は「失敗」と考えています。

ただ、怒りは時に必要なものでもあります。

無視出来ないレベルの理不尽を押し付けられて、諦めるか抗うかの選択を迫られた時。

私は大抵の場合「抗う」を選びます。

その時には自分の備えてきた力だけでなく、怒りのエネルギーも必要になるものです。

何かと戦うには莫大なエネルギーを必要としますからね。

また、私利私欲からではなく物事を正そうとする人には「義憤」と呼ばれる怒りがあります。

これもまた人間らしい感情です。

ただ、それに流されて感情をコントロール出来ないと問題になってしまう。

だから…快楽に抗う人としての理性を備えろ。

怒りに支配されるのではなく、怒りを従えて自分の力に変えろ。

それが出来なければ自己の保身か弱者を痛ぶる事にしか怒りは使えない。

無闇に人を傷つけず、怒りを人の為に使う。

それは十分に誇れる事です。

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