「雑記」生きてて良かった事

哲学系記事
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仕事終わりの一杯、風呂、娯楽などなど、人は僅かな間だけ幸せになれる物を持っていて、手軽に享受出来るそれを求めます。

その時、「生きてて良かった」と口から出る人もいるでしょう。

それは、小さな幸せです。

また、長い努力、苦しい状況を耐えた末に得た幸福。

成功や勝利、信頼関係の構築や成長などなど。

それらは、簡単に手に入らないものの心の底から幸せを感じて、自分が誇らしくなる。

心から噛み締めるように「生きてて良かった」と思える。

そんなものに出会える事が重要で、それを経験していない人にとっては価値が分からないものです。

しかし、それは自分の人生に価値をもたらします。

今回は、私が生きてて良かった事の話です。

自分を認めた

これ本当に同情して欲しいわけでもなく、言い訳をしたい訳でもないんですが…

私は発達障害であり、共感能力が欠如し、対人恐怖症であって、悪性が極めて高かった。

ガタガタのメンタルで、同年代と比べて出来ない事だらけの私にとって、人生は幼少期から苦痛ばかりでした。

なんか

「辛い思いをしてきたけど不屈の精神で乗り込えてきた」

と、勝手に評価される事もありますが、全然違います(笑)

子供の頃の私は卑怯で姑息で、人に怯えて人を恐れながら生きていました。

ある程度成長したら、無気力、無関心、冷笑家で、プライドが高く、虚飾によって自分を大きく見せる。

何も知らないのに社会を恨み、人の苦労も知らないのに人を妬み、努力する人を馬鹿にする。

自分より弱い人間を探して見下す事で自分を保ち、嘘をついて言い逃れをしながら自分の弱さから目を背けてきました。

自分のために人を傷つけたり、苦しめたりもしてきた。

思い返すと、凄まじいクズなんですよね。

19歳で警察に入り、死ぬほど厳しい世界を経験して変わり始めるまではクソみたいな人生でした。

私の事を「なんかスゲー人」みたいに扱う人もいますが、それは勘違いです。

自分に足りない物をかき集めて、ツギハギしながら生きてきて、

クソみたいな状況を何とかするために鍛えてきて、

ただ、贖罪と幸せを求めて生きる普通のオッサンです。

私は聖人でもないし、賢者でもないし、英雄でもない。

そういうのは、もっと別のスゲー人の話です。

私はどこまで行っても凡人だし、大勢から愛されるような人間でもない。

ただ…私が普通の人と違う所は、自分を認めているんですよ。

死ぬほど悶えながら自分の弱さと向き合ってきて…

ズタボロになりながら弱点を克服してきて…

未熟な頭で正しい道を考え続けて…

自分の弱さに心底嫌気がさしながら強くなろうとしてきた。

それは誰も知らない私の頑張りです。

誰も知らないから誰も評価しない。

しかし、ただ1人…私自身は一切の誤魔化し無くそれを知っています。

だから、私は私を「スゲー奴だ」と認める事が出来ます。

誰かの承認を必要としないから、他者からの尊敬も称賛も愛情も必要としない。

貰ったら貰ったで嬉しい時もありますけどね。

私は人生の中で、自分を認めた事が何よりも「生きてて良かった」と思えたんですよ。

弱くて価値の無い人間だと思い続けた自分が、スゲー頼もしくなったと気が付いた時。

それまで不可能だと思っていた事が取るに足らないものだと感じました。

若い頃の私が今の私を見ても理解出来ないと思いますし、感じている事は意味不明でしょう。

人は通った場所の事ならよく分かりますが、辿り着いていない場所の事は分からないものです。

もし、この話がピンと来ない人がいるなら、これから人生の中で辿り着くのかもしれません。 

初めて信頼を得た

簡単に任せられたり信用された事は何度もありましたが、本当の意味で初めて信頼を得たのは自衛隊時代が初めてでした。

東日本大震災の災害派遣に出動した時、詳しい事は話せませんが…まあ、色々やったんですよ。

その時の私は、損得無しで知らない人を助けようとするほど人間性が成長していませんでした。

それまでも人の助けになる事をやってきましたが、正直なところ私がどうにかしなくても何とかなる事ばかりです。

だから、私に向けられる感謝も軽いもので、私自身もあまり気にとめていませんでした。

ただ…東日本大震災の時は状況が違って、大勢の人が本当に苦しんでいたんですよね。

私は当初、自分が従事している活動は感謝されるような事ではないと思っていました。

無償で助けに来た人ならともかく、給料を貰って仕事で来ているわけですから。

しかし、役場の人は心底救われたような顔でお礼を言い、通りすがる男性は深々とお辞儀をし、お婆さんは泣きながら拝んでいました。

そういった本物の感謝の気持ちを受けて、実は動揺したんですよ。

生まれて初めての経験だったからです。

自分のやっている事にスゲー意味がある事を知り、自分ではどうしようも無いほど窮地にある人がいる事を知り、自分が本当の意味で誰かの力になれる事を知りました。

幼少期、本当に辛かった時に助けてくれた大人の事は今でもよく覚えています。

自分がそういう大人に近づけた事を知ってスゲー嬉しかった。

人の心からの感謝によってそれを知ったわけです。

私は普段から自衛隊の事をアホの集まりみたいに言ったりしますが、あの時の自衛隊は本当に人を救って大勢の力になっていた。

被災地の方々から本当に信頼されていた。

別に私1人の成果だったわけではありませんが、その時は自分が誇らしかったです。

本当に誰かの力になれて、信頼される事。

そんな人間になれたその時は「生きてて良かった」と思えました。

人の幸せを願えるようになった

人は誰しも生まれつき利己的なもので、心から利他的になるには長い時間をかけた成長が必要になります。

私は子供を育てている人達を見てスゲーと思った事がよくあります。

多くの人が自分よりも子供を大切にしているのが分かるからです。

私は子育ての経験が無いから分かりませんが、きちんと人間性が成長した親ならば自分よりも子供の幸せを考えるそうです。

人間性が成長した人には他者を大切に思える心がある…というわけです。

自分の子供ほど特別扱いではないにしろ、自分よりも他者を優先する事が出来るのは大人の条件の一つです。

私が未熟な時は自分の事ばかり考えていたし、利他的な行動には必ず打算がありました。

心の底から他者を思いやった行動が取れず、自分が「良い奴」に思われる事を期待してましたね。

人は人を基準に見るもので、当時の私も例外ではありません。

自分が欲と偽善まみれだからこそ、他人も同じだと考えていました。

ただ、人は色々な経験をして成長していくうちに、変化していくものです。

私自身、自分よりも他人の幸せを願えるようになっていきました。

本気で人を好きになった時は、自分が好かれたいという気持ち以上に相手に幸せになって欲しいと思った。

不遇でも腐らずに生きてきた人に出会った時は、何でも良いから幸せになれと強く思った。

本当に優しい人に出会った時は、その心の暖かさが報われるように、幸せになれば良いと思った。

この変化は自分の事がどうでも良くなったのではなく、人の良い所に気付けるようになって、人を大切に思えるようになったからです。

人を大切に思える事はスゲー幸せな事で、その人が幸せになると自分も幸せを感じる事が出来ます。

だから、幸せになって欲しいと願う人に惜しみなく力を貸す事が出来る。

ただまあ、ぶっちゃけると嫌いな奴は嫌いだし、面倒臭い奴は面倒臭い。

そんな人の幸せまで願えるほど私は聖人君子ではありません。

それでも、色々な人の良さを知るにつれて、幸せを願える人も増えていきました。

塞ぎ込んでいた人が立ち直って歩き始めた時。

スゲー苦労した人の努力が報われた時。

良い人の心の在り方が評価された時。

そういう人達の成功を見た時に、私は「生きてて良かった」と思えます。

自分の事ばかり考えて生きる人生は苦しいし、つまらない。

かといって、今この段階にいない人はピンと来ないだろうし、綺麗事に感じるでしょう。

これは多くの人が辿り着きながらも上手く説明出来ない事で、私自身も試行錯誤しながら伝えていますが十分とは言えない。

本当の意味で理解するためには辿り着くしかないのだと思います。

だから、私から一つ言える事は

「人としての成長を続ける」

これに尽きます。

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