対等であれ

哲学系記事
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他者の上に立ちたがる人もいれば、他者の下に付きたがる人もいます。

上に立つ事での安心感や優越感、下につく事で責任から逃れたり庇護されたいという感情があるからです。

実は…上や下になる事よりも、相手と対等でいる方が難しい。

上に立ちたい、下に付きたいという気持ちは不安から来ていて、それは人が持つ弱さでもあります。

対等でいる為には強くある必要があるんですよ。

今回は、そんな感じの話です。

対等である事

世の中には様々な立場があり、役職、実力、名声などでの上下関係はありますが、身分としての上下はありません。

しかし、上下関係をそのまま身分としての上下だと受け入れてしまう人もいます。

建前上は上下関係を気にした振る舞いをした方が良いんですよ。

ただ、心の中は対等でいた方が良い。

そうじゃないと上の人の意見が絶対になってしまい、下の人を軽視するようになる。

かつて、貴族制によって人としての上下が定められていました。

身分で人を区別するという考え方で、現代では時代錯誤です。

立場で上下を考えてしまったら、貴族制と全く同じ事なんですよ。

現実問題として社会的な価値は人それぞれで、需要の大小はあります。

しかし、人権を守られている限りは相手が総理大臣であろうと対等です。

相手を見下す事なく、臆する事なく対等であるのが理想的な在り方です。

ただ、人は人の上に立ちたがるものです。

人より上になる事で優越感を感じて、自分の価値を実感出来るからです。

だから、上になる人は貴族制のような考え方をしてしまう人もいるし、同じ考えで上になろうとする人も多いです。

ただ、優越感は不安が一瞬だけ忘れられた時に感じるものなので、自分の価値という根本的な問題は解決していません。

また、人は人の下にもつきたがります。

強い力を持つ人の下につけば守って貰えるように感じるし、スゲー人の下につく事で自分も同じくらいの価値があると錯覚するからです。

しかし、強い人ほど対等に付き合える人を求めるし、社会的な価値が高い人としか親密に関わらない事が多いです。

もちろん、スゲー人の下についたところで自分の価値は変わりません。

自分の価値は努力する事でしか上げられませんからね。

対等である事は難しい。

人間性や実力や実績など、自分を誇れるものが無いと…

価値の高い相手に気後れしたり、相手に取り入って利益を得ようとしてしまう。

見下せる相手を必死に探したり、足を引っ張ろうとしてしまう。

人と対等であるためには強さが必要なわけです。

だから、強さを求めていく必要があります。

自分を誇れる何かを手に入れろ

私は、プロ格闘家と最前線で戦うビジネスマンは同じくらいの圧力を感じます。

どちらも自分の技能に誇りを持っているから「俺は強い」と言わんばかりの雰囲気です。

この二者は対等になれると考えています。

同じジャンルである必要はありません。

違うジャンルの誇りであっても、自分を支えるものさえあれば良い。

逆に、何も持たないと何かを持つ人と接した時に気後れしてしまいます。

私が常々言っている事ですが、人間性は人の価値の中でも高いものです。

人間性の高い人は喋らなくても雰囲気だけで魅力を感じ取る事が出来る。

あまり表だって評価されないだけで、スゲー重視される価値ですね。

スゲー人ほど金や名声などへの欲望を他人から向けられやすくなります。

そのため、人嫌いになる人も多い。

そういう人が他人に求めるのは、最終的に人間性なんですよ。

小手先のテクニックではなく、根本から変わっていく意識を持つ事が大切です。

人によって、共依存の関係を求める人もいます。

相手が離れていかないという安心感と、自分を必要とされる肯定感があり、一見すると良い関係のように思えます。

ただ、共依存はネガティブになると荒むんでよ。

上手く精神のバランスが取れているなら良いのですが、どちらかが崩れるとまとめて崩れていきます。

有名なパターンだと駄目男とそれを支える彼女がありますね。

駄目男は生活力や金が無いから彼女に依存し、彼女は自分を必要とされる肯定感を得るために駄目男に依存する。

といった感じです。

もっと酷いパターンだと、共依存の2人が相手を離さないために互いの足を引っ張りあう。

相手を必要とするが故に相手を自分と同じレベルに引きずり落とし、安心感と引き換えに成長を阻害する。

闇が深いですね。

お互いのプラスになる関係は、お互いに支え合う協力です。

お互いに奪い合う共依存ではマイナスになりやすい。

何かにすがるのではなく、価値を積み上げて人を惹き付けていく方が幸せに近づいていきます。

並んで歩く者を仲間と呼ぶ

精神が自立した人間でも人に頼ります。

ただ、特定の誰かに依存するわけではなく、色々な人に少しずつ頼りながら、自分も少しずつ誰かの助けになっていきます。

自らの意志で責任を果たし、協力し、助け合う。

対等な人間との協力は有益で頼もしいものです。

ただ…自立した人間とそうではない人間では対等になれません。

片方が片方にしがみつく関係になってしまいますからね。

また、自然と利他的になる自立した人間と、利己的な行動や考えが中心になる自立してない人では協力関係になれません。

片方が負担を背負い続け、片方が自己肯定感を失い続ける関係になってしまうからです。

私は、仲間とは対等な存在だと考えています。

それは前を行く者でもなく、自分を背負う者でもなく…

後ろをついてくる者でもなく、自分にしがみつく者でもない。

自分と並んで歩く者こそが仲間です。

どんな関係であっても仲間であった方が良い。

仲間という言葉を口先だけの綺麗事にしないために、相手と対等である必要がある。

だからこそ

「対等であれ」

今回の記事の主題ですね。

もちろん、今すぐに誰とでも対等になれるわけではありません。

研鑽の果てに辿り着くものであり、向上する意志と努力が必要です。

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