自分を見捨てない人

哲学系記事
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私にはスゲー感謝している人達がいて、今の自分があるのはその人達の影響が強いです。

ただ、全ての人に当時から感謝していたわけではなく、わりと成長してから感謝するようになったパターンも多い。

私は当初、何故その人達が自分を助けてくれるのかが分からなかった。

その人達の真似をして経験して理解する事で見えてきた物も多いです。

今回は、そんな感じの話です。

先生の話

最近、自分でスゲービックリしたんですが…

私の哲学の先生の話をした時に泣いてしまったんですよね。

私の哲学の先生は、自分のした事を美談のように話されたり、聖人や賢者のように扱われる事を嫌がります。

そもそも自分の話をされるのを嫌がる人だったから、私もあまり人に話した事は無いし詳しく記事に書いた事もないです。

故人となった今でもなんとなく抵抗感があって、先生について詳しく語る事は一生無いだろうと考えています。

ただ最近、とある取材で詳しく質問を受ける機会があって、少しだけ先生の話を出したんですよ。

先生については話し慣れていない事もあってか、話している内に涙が出てきてしまいました。

別に亡くなったから悲しいとか、懐かしいとかいうわけではない。

単純にスゲー感謝している人の話をしたら、涙が出てきてしまっただけですね。

私の人生で間違いなく運が良かったと言えるのは、そういう人に出会えた事です。

何の見返りも求めず、何の価値も無かった私を救おうとした人がいた。

先生だけでなく、私は人生の要所要所でそういう人達に出会っています。

まあ、スゲーカッコ良いんですよ。

だから、自分もそういう人になりたいと思っています。

先生の話をした時、今の自分を振り替えって少し反省しました。

今の私は考えや力が足りないし、油断をすれば天狗になるし、知らず知らず怠ける事もある。

それに度々気が付きながら、反省する事の繰り返しです。

オッサンになった今でも、本当にスゲー人の精神性には届く気がしない。

しかし、同時に先生達もこうやって反省を繰り返しながら成長していったのかな…と考えています。

想いを受け継ぐ

虚飾をしたり良い人を演じる人も多い世の中なので、本当に熱い心を持っている人まで「嘘くさい」と感じてしまうものです。

人は自分を基準に他人を見る。

相手は自分と同じだと思いやすく、良い人を見れば「良い人を演じている」と感じる人もいます。

それは自分が他人からの評価が大事で、自分からの評価を軽視しているからです。

自分自身からの評価が高くならない限り、自信にはならない。

そして「本物」にもなれません。

まあ、私自身も最初は形から入っていて、普通にスゲー人の真似をしていました。

ただ、私の場合は

「他人から良く思われるため」

という虚飾ではなく

「スゲー人に追い付くため」

という、自分からの評価を求めた行動でした。

そうして経験を積んでいくと、スゲー人の言った言葉の意味や行動の理由が分かるようになるものです。

そうして「真似」から「本物」になっていく。

他人から良く思われるための行動では、欲を満たす事に意識が行ってしまいます。

その状態では真意に気がつけないから、いつまでも「本物」になれない。

まあ、簡単に言うと

他人からスゲー人だと思われたいから演じる「虚飾」では、いつまでも偽物のまま成長しない。

本当にスゲー人を目指して、スゲー人になろうとする「真似」では、本物に近づいていく。

という事です。

私が人助けを始めた当初は言動の意味や理由を理解しておらず、私を助けた人達の真似をしてただけでした。

まあ、やっていくうちに分かってくるんですよ。

相手を見ずに自分を見て貰おうとするのではなく、人と向きあって人を知ればその人の価値観を知る。

その人の価値観には、弱さによって発揮出来ていない人としての良さも含まれています。

それを見つけた時は「助けよう」と素直に思えるんですよ。

私を助けた人も私に対して何かを感じる所があって、私を助けたんだろうなと思っています。

そして、そういう人達の「真似」をする事で理解出来るようになる。

それが想いを受け継ぐ事なんだと思います。

人の弱さを許せるか

悪性が強かった頃の私に、人としての価値はありませんでした。

それでも私を救おうとする人がいたのは、その人達が悪性そのものは問題ではない事を知っていたからです。

悪性とは人としての弱さです。

卑怯な行いや他人への攻撃は、不安や恐怖に耐えられないから起きてしまう。

強い人達は自分の強さを知っているから不安になる事がなく、優しい人が多いです。

逆に、不安を抱えている人はどんなに偉い立場であっても死ぬほど他人にマウントを取る。

だから、本気で人を救おうとする人は、相手の弱さを変えようとします。

何でもかんでもやってあげるのではなく、悪性を叩くのではなく、弱さを変えようとする。

それが真の人助けになるからです。

ただ…

人助けをして感謝される…そんな甘い話ではなく、現実はもっと残念な感じです。

家庭問題の相談に乗って解決案を伝え、ある程度の助力をした女性に

「全てやってくれ」

と言われたので、自立させるために断ると

「レイプされたと警察に言うぞ」

と脅迫された事がありました。

また、助力して相手が抱えている問題を解決した後

「お前と同じ結果になるまで助力しろ」

と詰めよられたので断ると、逆恨みをされて足を引っ張られる事もありました。

一生懸命に助力しても、影で

「上手く利用してやった」

「あいつは単純で馬鹿だ」

と嘲笑される事もある。

人助けは…綺麗事に唾を吐きたくなるような時もあります。

相手に気に入られたいとか、認められたいという気持ちではやってられない。

ヒーローになりたい人ならともかく、ヒーローに思われたい人には向いていません。

人助けは見返りを求める行動ではなく、自分の筋を通す行動ですからね。

筋を通すためには人の弱さを許せないといけない。

ただ、これがまあ難しい。

悪性が強すぎたら救う事は出来ないし、被害者や犠牲者がいる場合はそっちが優先です。

個人的に許し難い悪性もあります。

しかし、一生懸命にやって間違える人もいる。

知識や経験が足りなくて間違える人もいる。

思考停止して全てを「悪い」と断罪したところで、誰も救われはしない。

私自身もまだまだ未熟な人間ですし、解決出来ない問題も多いです。

それでも、成長して解決出来るようになっていく。

人の弱さを許せる人間になっていく。

そうして、人を見捨てない人になっていくわけです。

まあ、難しいケースに遭遇した時は先生の話を聞きたくなりますけどね。

願わくばこの記事を読んだ人が

「人を救う人だと思われたい」

ではなく

「人を救う人になろう」

と思ってくれたら良いですね。

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