自分を客観的に見るのは難しい

哲学系記事
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わりと人は自分を客観視出来ないものです。

しかし、

「自分は客観的に見れている」

と勘違いする人も多く見てきました。

これは人が持つスタンダードな弱さが関係していて、それは克服が難しい。

「あいつはデブだ」

と、太っている人が太っている人を叩く事もあるのが世の中です。

それぐらい自分を客観的に見る事は難しい。

今回は、そんな感じの話です。

自分目線

客観的な視点とは、第三者目線で人や物事を見る事です。

人は通常、自分の目線から人や物事を見ています。

そのため、自分に関わりの無い出来事なら誰もが客観的に見る事が出来ます。

要するに「他人事」ですね。

逆に、自分が関わる出来事なら当事者となるため、客観的に見る事が難しくなる。

自分が周りからどう見えているか、自分がよく分からない理由の1つです。

例えば、知らない人が口論をしていた時。

他人事だと冷静にどちらが正しいかを考える事が出来ます。

自分には関係無いので、私情を挟む余地が無いですからね。

では、自分と他人が口論していた場合はどうでしょうか?

この状態で、冷静にどちらが正しいかを判断出来れば客観的な視点を持っていると言えます。

ただ、人は様々な心理で自分を肯定しようとします。

「自分が正しいと思いたい」

「自分が正しいに違いない」

「自分が正しくないと辛い」

という、弱さが人にはあるので…

事実に基づいて正しさを求めるのではなく、自分を弁護する主張が基準になってしまいます。

自分が正しくないと都合が悪いからです。

しかし、始めから「自分が正しい」と思い込む時点で正しくはありません。

主張の発端が事実ではなく自分の都合である場合、それはただの感情論です。

非合理的な自分の主張に、詭弁や屁理屈を重ねてそれっぽく話す。

正直、大抵の人はこんな感じです。

自分が正しくないと嫌だから、自分を正しく見せようとする。

しかし、それによって正しさから遠ざかるという皮肉な結果になってしまうわけです。

他人を客観的に見れても、自分を客観的に見れる人は少ないんですよ。

他人に対して客観的になる事で、自分を客観的に見れていると勘違いする事もある。

自分を客観的に見れる人でも、常にそうあるわけではない。

自分を客観的に見る時は「反省」をしている事が多いです。

私情を挟まず、私利私欲を持たず、あくまで世の中に合わせて合理的に考える。

これを高いレベルで行えると自分を客観的に見る事が出来ます。

人は反省をしないと歪み続けるもので、反省が出来る人ほど正しくある事が出来ます。

ただ、それでも他人からの印象というものは分からないものです。

自分の印象は他人が決める事

人から「こう思われたい」という願望を持つ人は多いです。

そのために人目を気にし、偽りの自分を語って大きく見せようとする。

ただ、基本的にそれは通じません。

人には些細な違和感を感じ取る能力があります。

口調、言葉選び、表情、仕草などから違和感を感じ取り

「ああ、本物じゃないな」

と、大抵の人には分かってしまう。

「本物」の雰囲気は本物にしか出せず、虚飾による「偽物」は違和感が強くなります。

等身大の自分だから信用され、大きく見せようとすると信用を失う。

本当の自分を語るから説得力があり、虚飾した自分を語るから嘘臭くなる。

ただ、自分を客観的に見れていないと…これが分からないものです。

自分を大きく見せる事が常態化している人は

「他の奴は通じないが、自分は通じている」

と、根拠も無く考えていたりします。

しかし、他の人が通じていないように、自分もまた通じていません。

無意識に他人を見下して侮っているから、自分が気を使われている事に気がつかないだけです。

これは「マキャベリアニズム」という悪性で、人が持つ弱さの中でも大きな物の1つです。

私がよく記事で

「良く思われようとするのではなく、本当に良い人を目指せ」

と言うのは、これが理由です。

ただ、それでも「自分の演技は通じている」と固く信じている人もいるので、マキャベリアニズムが強い人ほど難しいですね。

まあ、薄々その事実に気が付いていても、それを認める勇気が無いだけかもしれません。

演技自体が悪いというものでもなく、生きていれば必要な場面が多々あります。

ただ、他人はそういう弱さも知ったうえで人付き合いをしています。

わりと他人は寛容で器が大きいわけです。

また、他人はバカではないんですよ。

数学の点数が悪くても国語の点数が高い人がいるように、ある部分はアホでも別の部分は賢かったりします。

言葉使いが稚拙だけど想像力に優れた人もいれば、瞬間的な頭の回転が鈍くても正しく物事を考えられる人もいます。

それらを使って人は足りない能力を補っている。

だから、一部分がアホでも完全に騙す事は難しいわけです。

そのため、他人から見た自分の印象は操作出来ない。

どんなに偽りの自分を語っても、他人からそう思われる事はまず無いでしょう。

自分を客観的に見れるほど、これがハッキリと分かるようになります。

客観視は油断すると簡単に出来なくなる。

これは、私自身も常に戦い続けている事です。

自分の弱さを認める

人が持つ強さの中でも、特に難しく重要なのが

「自分の弱さを認める事です」

自分の弱さを認める事は自尊心を失う行為なので、簡単に出来る行いではありません。

そして、これが出来ないがゆえに自分を客観視する事が出来ず、反省も出来ない。

本当の自分がバレないように神経を使い、雰囲気に余裕が無くなり、偽りの自分を説明しないと落ち着かなくなる。

そして、それは周りから見たら分かってしまいます。

だから、自分の弱さを認めていく事が大切なんですよ。

今の時点で出来ない事は出来ないし、怖いものは怖いし、分からない事は分からない。

自分の願望は願望でしかなく、不安は不安でしかない。

それを詭弁や屁理屈で誤魔化さず、素直に言えるようになる事が必要なんですよね。

人として本当に強い人達はそれが出来る。

「自分の弱さを認める」という強さを持っているからです。

「本物」と呼べるような器の大きい人間を目指すなら、必須とも呼べる要素ですね。

自分の弱さを認める手順は二段階あります。

最初の段階は自分の中で認める事。

次の段階は人に話せるようになる事です。

自分の弱さというものは、自分の中でいくらでも誤魔化す事が出来ます。

自分の中だけでなら、屁理屈をこねれば無理矢理に正当化出来るからです。

しかし、誤魔化さずに自分の弱さと向き合う。

認めたくない、認められない事実を認めていく。

そうやって痛みを伴いながら乗り越えていきます。

で、自分の中では認められても、それを人に話す事はさらに難しい。

恥や恐怖が伴うからで、これが出来る人はスゲー強いです。

そして、二段階目をクリアした場合、その弱さに抵抗が無くなります。

そうやって完全に弱さを認められると、積極的に改善していける。

認めた時点で、ほぼ克服したようなものですね。

ただ、経験上この話をすると…

必ずと言っていいほど

「自分は弱さを認められる人間だ」

って語る事で、自分を大きく見せようとする人がいるんですよ(笑)

その行い自体がこの記事で言っている「人としての弱さ」です。

そして、それは雰囲気で分かってしまいます。

その人が持つ世界観と言ってる事が合わず、違和感を感じるからです。

自分の中で考えた自分の言葉じゃないと通用しない理由がこれですね。

「自分はこういう風に思われているはず」

この幻想は抱きやすく、払拭しがたい。

それゆえに自分を客観的に見るのは難しい。

どんな人間でも見栄を張る事はあるし、啖呵を切る事もある。

イキる事もあるし、交渉の場では弱さを見せられない。

だから、誰しも自分を大きく見せる瞬間がある。

それ自体はさほど問題ではありません。

ただ、自分を大きく見せる事が常態化すると、現実とのギャップに苦しむ事になります。

虚飾した自分の正体がバレる事を恐れ、本当の自分を受け入れられなくなる。

精神が安定しなくなり、常に不安に襲われてしまう。

自分を保つために、虚飾した自分語りをせずにはいられなくなる。

誰かを貶しめたり、傷つけないと気がすまなくなる。

間違いを認められず、自分の言動全てを正当化しなければ不安になる。

いわゆる自己愛性パーソナリティ障害という状態に陥るわけです。

その状態では本来持っていた魅力を失い、思考は見栄で一杯になり、少しずつ周りから人が離れていき、人生がジリ貧になる。

等身大の自分で生きる事は非常に大切です。

本当に自分の弱さを認めた人は必ず成長していく。

素直さは最も成長に必要な素質ですから。

逆に、自分を大きく見せようとする限り労力の大半を自己弁護に消費して、周りから取り残される。

そして、それが当事者には分からないものです。

自分の弱さを認めたらスッキリするんですよ。

見栄を張るのは疲れますからね。

細かい悩みが無くなって、普通にありのままの自分として生きていける。

清々しく前向きに生きていけるようになるから、人生が明るくなる。

それゆえに私は、この事を何度も記事に書くようにしています。

私は責めたいわけではないし、馬鹿にしたいわけでもない。

自分の弱さと向き合う事が出来ないと、人生のどこかで必ずつまずいてしまう。

そのままズルズルと色々なものを失ってしまうので、そうならないために言ってるだけです。

わざわざ教えてくれる人もいないですからね。

今は出来ていなくても構いませんが、これから先の人生には必要になるという話です。

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