最近、とあるアイドルが自殺未遂をしたとネットニュースで報じられていました。
関連情報を追っていくと、本人のツイートから誹謗中傷に悩んでいたように見受けられます。
直接の原因かは分かりませんが、原因の一つである可能性が高いです。
ネットが普及し、SNSが普及し、交流がしやすくなった反面、悪意も簡単に伝わるようになりました。
現代における人の言葉は、人を死に至らしめる凶器にもなります。
日本は言論の自由が認められていますが、自由には責任がある。
免許もなく、認可もない、誰もが自由に使える言葉だからこそリテラシーが求められます。
相手は普通の人間である
SNSのアカウントの一つ一つには、離れた場所にそれを使う人間がいます。
だから学校や職場にいる人と同様に、目の前にいる人と同じように対応するのが本来の在り方です。
まあ、誰もが頭では分かっている事でしょう。
ただ、誹謗中傷をする人達は感覚が違います。
ネット上にいる人物を映画の中の登場人物のようなフィクションに近い感覚で捉えてしまう。
そのため、悪意をぶつける事にあまり抵抗がありません。
誹謗中傷が無くならない理由の一つです。
顔が見えなくても、そこには人間がいます。
SNSを開いている時に、ふと鏡を見て下さい。
端末を持つ自分が映っていると思います。
その姿と同じように、SNS上にいる人は端末を持って操作している人間です。
それが感覚として理解出来ないのは、思考力や想像力といった能力が不足しているからです。
また、人は自分を基準に他人を見る。
自分と他人は考え方が違うという事が感覚として理解出来ない人達もいる。
自分にとっては大したことない言葉でも、相手にとっては重い言葉である事があります。
例えば、私は「殺すぞ」と言われ慣れているから気になりませんが、慣れていない人にとっては非常にストレスになります。
それがネット上にいる顔も素性も分からない人達に言われたら尚更でしょう。
自分で発した言葉は自分では大したこと無いように思えるものですが、相手からすれば深く傷つき、時には命を断つほど絶望してしまう凶器にもなるわけです。
さらに…名声や影響力のある人は、普通の人とは違う存在だから攻撃しても良いと考える人もいます。
これは考え方が幼い人ですね。
有名人は別に特殊な訓練を受けた人間ではありません。
どんな有名人も人間である事に変わりはありません。
だから、些細な言葉で傷つく事もあれば落ち込む事もある。
スゲー場所で戦っているからといって、鋼のメンタルを持っているとは限りません。
まして、前述したアイドルは若い女性です。
個人差はあれど、年配の人や男性と比べて世の中に怖いものが多い。
不特定多数の人から誹謗中傷されたら怖いし、辛いし、傷つくし、悩む事もあるでしょう。
それが何気ない一言や些細な事であってもです。
それでも人前に出る以上は落ち込んでばかりもいられないから我慢しているだけです。
自分が「死ね」とか「消えろ」とか、「気持ち悪い」とか「ウザイ」とか言われたら傷つきはしないでしょうか?
同じように相手も傷つくし、同じ痛みを感じるんですよ。
誰かを誹謗中傷する人は
「相手が悪いから自分が正しい」
と思い込もうとします。
だから、屁理屈を並べたり、ある事ない事を付け足して叩こうとする。
また、問題が起こした人には絶対悪を裁くかのように攻撃をする。
ただ、人は清濁を合わせ持つもので、必ず悪い部分があります。
他人の悪い部分をどこまで許容出来るかが人の器です。
精神は経験と共に成長していくものですが、「叩く」ことでは人は変われず、「諭す」ことでしか変えられない。
だから、誹謗中傷からはマイナスしか生まれないんですよ。
そして、それを行ったからといって相手より上になるわけもなく、自分の精神の未熟さが浮き彫りになるだけです。
誹謗中傷もまた悪性であって、それは人としての未熟さです。
だから、誹謗中傷を行う人は10代が多いわけです。
事実は消せない
今の時点で誹謗中傷をしている人達は人間性が成長していないから、罪の意識をあまり感じないと思います。
しかし、人として成長していくにつれて罪の意識を感じるようになり、場合によっては自分の犯した過ちがトラウマになる事もあります。
今、罪の意識を感じていなくても、過ちが将来の自分を苛むようになる。
人は過ちを犯すものです。
ただ、中には取り返しのつかないものもある。
だから、大きな過ちを犯さないようにする事が大切になってきます。
誹謗中傷によって自殺してしまった前列はいくつもあります。
その時、自分以外にも誹謗中傷をしているから「自分のせいじゃない」と、考えるかもしれません。
しかし、心無い言葉を投げかけた事実があるならば、相手に危害を加えている事実になる。
その言葉が相手の心を傷つけていない証明は永遠に出来ないし、その言葉が無ければ自殺を踏みとどまったかもしれない。
危害を加えた事実と誹謗中傷によって自殺した事実があれば、殺人に加担した事実は限りなく濃厚なんですよ。
さて、ここで罪の意識が残ります。
最初は小さいものでしょう。
しかし、成長すると共に重い枷になっていく。
打ち解けた友人が出来た時、好きな人が出来た時、子供が出来た時…
その人達と向き合う自分は、人を自殺に追いやった人間です。
事実は消せないから、大切な人達に対して負い目を感じながら、または必死に隠しながら生きていく事になる。
人生の中で何度も思い出す事があるでしょう。
気の合う友人が出来た時、自殺した人にも友人がいた事に気付くかもしれない。
好きな人が出来た時、自殺した人を好きな人がいた事に気付くかもしれない。
子供が出来た時、自殺した人にも親がいた事に気付くかもしれない。
経験をして学びを得る度に罪の意識は大きくなっていく。
ふとした時に自分の過ちを思い出したら最後、忘れようとするほど忘れられなくなる。
まあ、クズのままでいるなら何も感じる事は無いでしょう。
しかし、人は何かを手に入れるためには成長する必要がある。
そして、その成長と共に罪の意識が枷になっていく。
人には大なり小なり罪の意識があるものです。
些細な事なら人は忘れていける。
ただ、大きな過ちは心の片隅に残り続け、やがて抱えきれなくなってしまいます。
そうして、加害者が自殺する事もあるんですよ。
事実は消えない。
だから、取り返しのつかない過ちを犯さないようにしなければならないわけです。
人の想いを知る
人生や物事に対する想いは人によってバラバラで、それぞれ大切にしている物が全然違います。
だから、自分にとっては価値を感じない物が他人にとっては価値のあるものだったりします。
例えば、私はブランド物の服を着る事に興味がありませんが、それを好む人もいます。
逆に、私は筋トレを好みますが、筋トレに興味が無い人もいる。
それは、どちらが正しいとか間違いだという事は無いし、有益か無駄かは当人が決める事です。
人はただ何となく生きている人ばかりではなく、何かしらの強い想いを持っていたりするものです。
私はクソみたいな環境で生きてきた経験から、自分を鍛える事に強い想いを持っていますし…
人生で深く傷ついてきた人は、誰かに優しくする事に強い想いを持っていたりする。
その人の在り方には、その人の想いが反映されるわけです。
ただ、自分に無い価値観は理解が難しい。
だから、他人からは無駄に見えたりワケの分からない行動に思えたりもします。
理解出来ないのは自分の価値観が狭いだけで、要するに無知なだけです。
自分のやっている事や自分の考えが、他人にとっても正しいと思い込む。
スゲー視野が狭いわけです。
また、自分に自信が無い人も何かを強要してくる事があるんですよ。
例えば、昔から私に筋トレをやめさせようとする人が結構いました。
筋トレをしない人の中には、他人が筋トレをしていると不安になる人がいます。
自分がしていない努力を誰かがしていると、焦燥感に駆られる。
自分を肯定するためには相手を自分と同じ状態にしなければならないと感じて、やめさせようとしてくるわけです。
逆に、自分がやっているのと同じ事を強要する人もいます。
「筋トレは無駄だ、合気道をやれ」
と、しつこいオッサンが昔いて、力で振り回して放り投げた事がありました。
これは自分の意見を採用させたり、相手に自分の真似をさせる事で自分を肯定したいからですね。
まあ、視野の狭さや心の弱さは誰しもあるものですが、他者の想いを踏みにじって良いわけではないです。
強く真摯な想いを持つ人ほど、そこに対して積み上げてきた努力がある。
それは簡単に否定して良いものではないんですよ。
まあ…それでも誹謗中傷は無くならない。
弱い人は誰かを支配しようとしたり、攻撃せずにはいられないからです。
さらには、そんな自分を正当化せずにもいられない。
自分の弱さを認められないからです。
だから、雨の日に傘をさすように、誹謗中傷は自然現象だと思って自分で対策していくしかないんですよね。
誹謗中傷をする人を変える事は難しいし、今の社会では増え続けます。
彼らもまた何かの被害者である事が多く、心の闇が濃い。
だからといって許される事ではないんですけどね。
憎しみや不満といった感情は心の闇を濃くする。
憎しみや不満を抱く理由は様々ですが…
大抵の場合は誰かに何かを与えられようとして、それが叶わないから募る。
自分の力で勝ち取る事を覚えていけば、あまり抱かずに済むものです。
残酷な話ですが、人は生きている限り心の安全を約束されません。
必ずと言って良いほど誰かの攻撃に合う。
それに対抗する術を身につける事も「勝ち取る事」で、いくら道徳や不平等を喚いてもそれが通じなければ不満や憎しみになる。
そうして心の闇が濃い人間にならないように、人としての強さを身に付けていく必要があるんですよ。
コメント