高潔さを求める心

哲学系記事
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高潔さとは、気高く濁りの無い心の状態を指します。

わりと多くの人は他者に高潔さを求めるものですが、近年は自分に対して高潔さを求める人が増えたように感じています。

高潔である事は難しく、わりと生まれ持った素質に左右される。

私みたいな凡人が高潔さを求めるとなると、それは修羅道になります。

全ての人が高潔を目指す必要は無いと思いますし、そこそこ良い人であればわりと幸せに生きていける。

だから、基本的にはオススメしないです。

今回は、それでも高潔でありたいと考える人向けの話です。

潔癖というヒビ

その人の正義の中で理想とするものがあって、それに合わない人間を批判する。

まあ、これは私も同じような所があるので偉そうな事は言えないんですが、私は自分でもこの在り方に疑問を持っているんですよ。

例えば

「イジメは人の人生を狂わせるから、イジメをする人は良くない」

わりと妥当な意見だと思います。

では…

「動物が可哀想だから搾取すべきではない、だから肉を食べる人は良くない」

これは疑問に思う人もいると思います。

ただ、この二つの意見は構造が一緒なんですよ。

先に述べた通り、自分の正義があってそれに合わない人を批判していますからね。

内容の正しさは別として、これは潔癖なんだと思っています。

自分の正義において間違っているものを許せない。

今の私は、この在り方は正しさを求めるのに不完全だと考えています。

前の記事で話しましたが

「筋トレは無駄だ、合気道をやれ」

と、しつこく言ってきたオッサンがいました。

要するに、筋トレでは喧嘩に強くなれないから無意味で、合気道なら強くなれるという事なんですが…

私は今までの経験上、暴言を吐きながらズカズカ近づいて、ただ掴んで殴るというシンプルなやり方がクソ有効だったんですよ。

本気で殴り合いの喧嘩をする奴のほとんどは、ギリギリ人間みたいな連中です。

耳が千切れたら「また生えるだろ」、相手が死んだら「ごめん」で済むくらいのテンションでいます。

自分で言ってて悲しくなりますが、殴り合いの喧嘩をするような人間は基本的に頭がおかしい。

そういう連中との喧嘩の空気の中で、複雑な手順の行動はなかなか取れない。

例えるなら、怖い上司に本気で怒られている時に一発ギャグをかますぐらい難しいです。

だから、威圧感で圧倒出来る事や純粋にパワーがあるというシンプルな強さがアドバンテージになりやすいんですよ。

腕力と体の大きさと度胸と根性が必要だから、ウェイトトレーニングが合理的だと私は思っているんですよね。

しかし、オッサンは合気道が最強だと思っていたから、オッサンの正義と私の正義がぶつかったわけです。

ただ、私もウェイトトレーニングで全ての人が喧嘩に強くなるとは思っていません。

格闘技で強くなる人もいれば、ラグビーみたいなスポーツをやっていて強い人もいるでしょう。

もちろん、合気道をやってて強い人もいると思います。

だから、私はウェイトトレーニングを人に薦めるけれど、やらない人を別に批判しないんですよ。

その人にはその人に合う正義があるわけで

「ウェイトトレーニングをしない奴は弱い」

なんてのは、ただの偏見ですからね。

人には自分が間違っていると思うものを正そうとする習性があります。

自分の正義に合わないから間違っている。

間違っていると思うから批判する。

まあ、ここまでは良いと思うんですよ。

ただ、それを他人に押し付けようとすると正義と正義のぶつかり合いになります。

批判を押し付けるなら自分の正義が折れる事も踏まえて、ぶつかり合う覚悟が必要になるわけです。

より正しさを求めてぶつかり合うなら全然良いんですが、覚悟を持たない押し付けは後悔の元になります。

また、全ての人が自信満々に自分の正義を持っているわけではないです。

少しずつでも正しさを求めている人達もいる。

そういう人達の正義を「未熟だから」「間違っているから」と蹴散らす事が正しいとは思えない。

間違う事が悪いなら、誰も自分の正義なんて抱けないですからね。

自分と同じである事を他者に強要した時、その正義には潔癖というヒビが入っているのだと思います。

高潔さを求めるならば潔癖であってはいけないと私は思っています。

自戒

どんな聖人君子であっても欲望はあるし、負の感情もあります。

これは人間という生物の宿命であって、無欲な存在になる事はまず出来ません。

欲望や負の感情を抱かないのは無理なので、どう向き合うかが重要になってきます。

例えば、性欲。

自分が性欲を持つ事を嫌がる人が結構います。

ただ、性欲は複数の種類があって、大きく分けると2パターンあります。

愛情から来る、相手と深く繋がろうとする性欲。

欲求を満たす事に相手を利用する、動物的な性欲。

要するに、相手を尊重する性欲と消費する性欲があるんですよ。

尊重する性欲を満たすと自分の中で相手の価値が上がり、消費する性欲を満たすと自分の中で相手の価値が下がる。

性欲は性欲でも性質が全然違うんですよね。

で、当然ながら私にも性欲がある。

前者はあった方が良いと考えていますが、私にとって後者は基本的に邪魔になる。

それで失敗した事は一度や二度ではないので、私はわりと自然に避けるようになりました。

欲望を他人に向けていると客観的に見たらバレバレですし、信用も失いやすい。

しかし、人である以上は欲望を抱かないのは無理です。

だから、性欲に限らず基本的に欲望を抑えて他者に向けないという自戒をしているんですよ。

自分でも面倒くせえ奴だなと思います。

ちょっと話は変わって…人に合わせたり共感すると、そのコミュニティの中で生きやすくなります。

その反面、そのコミュニティに性格が寄っていきます。

これは一長一短なんですよ。

ある程度レベルの高い世界や実力を求められる世界なら、現実を見ているマトモな人も多いし、尖った人からは学べる物も多い。

無理をすると心が壊れますが、合わせられる範囲で合わしていくと自身の向上にも繋がります。

だから、自分のペースで合わせていく事が重要なんですよね。

しかし、人間性が極めて低い世界だと…そうとは限らない。

例えば、自衛隊時代に私がいた部隊はマトモな人が少なく、悪い方向にヤベー奴も多い。

質問をすれば怒鳴り散らす、反対意見を言えば殴る、マウントを取れた相手は奴隷だと考える。

針付きのダーツを投げて人に突き刺す、頭を木材で本気で殴るのが悪ふざけの範疇。

そんな人もいて、酷い場合だと…

意見が違う相手を半殺しにする、酔って一般人を殴る、女性自衛官の下着を盗む、飲酒運転で正門に突っ込む、自然に他人の金品を盗む、悪ふざけで部下に重傷を負わせる、集団で自殺に追い込む、弱みを握って脅迫する、薬物中毒、それらを隠蔽する幹部…

などなど部隊によってヤベー奴は本当にヤベーので、マトモな人ほどすぐに辞めてしまいます。

で、そんな連中と接するどころか一緒に暮らすので、気をつけていないと性格が寄っていきます。

掃き溜めに合わせると掃き溜めに染まってしまう。

だから、そうならないために自戒する必要があります。

欲望を抑え、楽に流れず、恐怖や暴力に屈せず、仁義を通し、自省をして、自分を厳しく律する。

酷い環境であるほど、周りに流されないためには強く自戒する必要がある。

だから、私の自戒は狂気染みている所があります。

ただ、すべての欲望を抑えろと堅苦しい事を言うつもりはありません。

何かで上手くいかない事の原因が欲望である場合は、その欲望と向き合う必要がある。

そして、自分の中にある弱さや汚さを少しずつ直していく。

それが出来るから成長して、信用される大人になっていく。

高潔さを目指す人間はそれを高い次元で行う…というだけの話です。

普通は、問題が無ければ欲望や負の感情を抱いていても構わないんですよ。

それゆえに愛される人もいますし、人間らしさでもありますからね。

結局のところ「程度の差」なんですよね。

あと、これは完全に個人的な話ですが…

人を優しい目や暖かい目で見れるというのは幸せな事です。

だから、私は欲望や負の感情で濁った目で人を見たくないというのが正直なところあるんですよね。

孤高

高潔さを目指すなら、人に理解される事を求めたら上手くいかないんですよ。

例えば、自分に厳しい人は澄んでいく精神や冴えていく頭の感覚、向上していく能力と不可能が消えていく実感を肌で味わっていると思います。

筋トレをして筋肉が鍛えられるように、自分への厳しさが脳の前頭前野を発達させますからね。

しかし、何も知らない人からすれば意味不明だし、ただのドMに見えるものです。

人は他人に理解されたいものだし、理解されない事は辛い。

私も理解されるのは嬉しいものです。

しかし、高潔さを求めるほど人に理解されなくなっていきます。

人には頑張れる限界がそれぞれにあって、その中で突出すると目立ちますが、突出し過ぎると浮きます。

集団心理からすれば至極当然の反応ですね。

高潔さを目指すと人生レベルで必ずそうなります。

それでも、見返りも報酬も無い修羅道を歩んでいく。

他者の理解を置き去りにして「孤高」と呼ばれる状態になっていくわけです。

この状態までになると、どこかが壊れている人間にしか耐えられません。

あらゆる分野において道を極めるという事は孤高を目指す事でもありますが、それを精神で行うと最終的には人の理解の及ばない怪物になる。

私は高潔でありたいと思う反面、人の輪から完全に外れて怪物になりたいとは思わない。

凡人たる私の限界はそこなんですよね。

多くの人にとっては他者から愛されて理解される事が幸せで、ほどほどに善良で自分なりに一生懸命頑張れる人はそれが叶いやすい。

幸せを感じられるなら、そこで踏み止まる事も大事です。

人間性を育てていく事はスゲー大事ですが、高潔さを求め過ぎるのは幸せとは限らない。

高潔さも過ぎれば怪物になる。

怪物は人を愛せるけれど、人は怪物を愛せない。

人と関わりたいという気持ちが僅かでもあるなら、怪物になるべきではないと私は思っています。

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