利他の心得

哲学系記事
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自分ではなく誰かの利益になるように行動する事を「利他的な行動」と言います。

俯瞰的に見ると非常に意味のある行動なのですが、視野が狭いとなかなか理解出来ないものです。

利他的どころか、他人を利用したり足を引っ張ろうとする人も多いですからね。

利他的な行動が取れるかどうかで、自身の評価や信用だけでなく能力にまで差がつきます。

今回は、そんな感じの話です。

利他的な精神を養う

例えば、料理が上手い人は利他的な精神を持っている人が多いんですよ。

「料理で人を喜ばせたい」

というのは高潔で分かりやすい動機ですね。

また、それだけでなく

「美味しいと言って貰いたい」

「自分の料理を認めて貰いたい」

という気持ちの中にも利他的な精神が含まれています。

私は自分の料理を人に食べさせる気が無いから、雑な物が多いんですよ。

ジャガイモとタマネギを鍋にぶちこんで茹でるだけという…まあ、原始的な料理を好みます。

ただ、料理の上手い人は動機はどうあれ人に食べさせようとするんですよね。

だから、しっかり作ろうとします。

ひたすら料理を作って自分が食えれば満足という人もいますが、大抵の場合は上手く出来るほど人に食べて貰いたくなるものです。

最初は単純に「褒めて貰いたい」という承認欲求から来る動機がほとんどですが…

やがて、より美味しい料理を作って、より「美味しい」と言って貰いたくなる。

「褒められる事」よりも「喜ばれる事」が嬉しくなっていくんですよ。

そして、賞賛より結果を求めるようになって承認欲求は影を潜めていく。

これは極めて健全な承認欲求の使い方です。

このように、利他的な行動を重ねる事によって利他的な精神が養われていく。

よく「芸能人は承認欲求モンスター」なんて言われる事がありますが、それは誤解です。

確かに最初の動機はそういう人も多いでしょう。

しかし、自分の芸によって結果を出す人は、無意識の内に利他の精神を持っています。

間近でプロのトークを見ると、周りへの配慮や空気の掴み方に対して「スゲーな」という感想しか出て来ないです。

プロの技の中には利他の精神が当然のように含まれているんですよ。

承認欲求が利他の精神に変わっていくわけです。

ただ、なぜ承認欲求によって自爆する人が多いのかと言うと、肝心要となる自己表現の方法を持っていないからです。

料理やトーク力みたいに興味を持ってたり得意だったりするものが無く、空っぽの状態から承認欲求を満たそうとすると…

成功した誰かの真似をしたり、自分を偽る事でインスタントに認められようとする。

ビジネス書を読んだだけで有名な企業家みたいに振る舞う人、ネット知識だけで武術の達人や有識者みたいに振る舞う人なんてのは腐るほどいます。

まあ、大抵は雰囲気を見れば一発で分かるんですけどね。

こうなると自分を取り繕うので精一杯で、利他の精神はなかなか持てない。

大切なのは打ち込める何かを持ったり、得意な事を見つける事です。

それを人に見せたくなった時が、利他の精神の入り口の一つなんですよ。

利他の精神による能力の向上


利他的な行動は、ビジネス的に言えば「需要を掴む」という事でもあります。

人に喜ばれる事や必要な事をするのが利他的な行動ですが、それはそのまんま需要を満たす事になります。

その需要をより満たそうとすれば、より自分の技にクオリティを求めていくわけです。

世の中には誰の需要を満たさなくてもクオリティを求め続ける「求道者気質」やそれに近い気質を持つ人もいます。

ただ、それは非常に稀な人種で、大抵の場合は需要を満たそうとして能力が向上するんですよ。

もっと喜んで欲しいから、もっと美味しい料理を作る。

もっと期待に応えたいから、もっと強くなる。

こういう感じで、利他的な動機から向上心を持つわけです。

社会への義務感や責任感、恩や贖罪、義侠心や愛情など違うベクトルでも利他的な精神を持つものです。

ただ、需要を満たす事が最も利他的な精神の入り口になりやすく、最も向上心に繋げやすいです。

仕事なんかでは分かりやすく利他的な精神の差が出ます。

サービスを提供する時に利他的な精神で望むと、自然に相手の目線に立って考えるので細かく気配りの効いた仕事が出来たりします。

逆に、利他的な精神が無いと自分都合で考えて雑になる。

例えば、UberEatsの配達員は顕著にこの差が出ます。

仕事自体は店から客先へ料理を運ぶだけなんですが、当然ながらその料理はお客さんが食べるものです。 

冷めない方が良いし、こぼれたり型崩れしない方が良いし、カトラリーがあった方が良い。

連絡はマメで丁寧な方が良いし、服装は清潔な方が良いし、配達先で粗野な行動は取らない方が良い。

玄関先に置く時は地べたに直接置かない方が良いし、ドアの開閉に邪魔にならない位置に置いた方が良い。

利他的な精神を持つ配達員は、これを自然に気を付けるようになったんですよ。

一方で、自分都合で考える配達員は料理を届けて金を貰うだけだから、お客さんの都合なんて考えません。

細かい事は考えず、言われるまま料理を運んで玄関ドアの真ん前にドスッと置くだけです。

ものスゲー差があるわけです。

個人的にUberは、サービスや接客、需要を掴む事や金を稼ぐ事に対して考える良いきっかけになりました。

人は自分都合だと「この程度でいいや」となってしまうんですよね。

前述した私の料理が雑なのも自分都合だからです。

しかし、利他的な精神があると需要や求められるクオリティに合わせようとして努力をする。

そうして結果を出すんですよ。

仕事が出来る人も優秀なクリエイターも、その本質は利他的な精神にあると考えています。

「誰かのため」が最も自分を成長させるわけです。

余談ですが、私は哲学書を出す気が無くなったので、変わりに実用書に近い形の本を書き始めています。

何の本を書くかを決める時、やはり参考にしたのは「人の痛み」です。

「人にナメられたくない」

「必要とされないのが辛い」

みたいな痛みを解決しようと考えたら、何を書くかが自然に決まりました。

何かを始めようとする時、利他の精神が後押しをしてくれるわけです。

利他的な行動による信用

「お客様が過ごしやすいお店を心がけております」

という飲食店のテーブルやイスがめちゃくちゃ汚かったら、誰もその言葉を信用しないと思います。

人の精神は言葉ではなく行動に表れるもので、利他的な精神を持っている人もまた利他的な行動をするんですよ。

だから、言っている事に対してやっている事が伴わないと信用されないんですよね。

例えば、私のブログは商売が主目的ではありません。

商売目的では得られない類いの信用があって、私のブログは収益よりもそちらの方が重要だからです。

だから、記事が見づらくならないように最小限の広告だけでやっています。

これが、あちこち広告だらけでページを変える度に全体広告が表示されて、いかがわしいサイトのリンクが張ってあって、やたら商品を勧めるページがあったら

「商売目的じゃありません」

と言われても

「嘘つけこの野郎」

としか思わないでしょう?笑

信用を得るためには、それに見合う行動が必要になる。

ビジネスの世界では何もせずに「信用してくれ」なんてのは厚かましいもので、子供の戯言として扱われますからね。

利他的な精神は偽る事が極めて難しい。

言葉だけになれば著しく信用を失うし、利他的な行動をしていれば少なからず利他的な精神が養われるからです。

最近よくあるビジネスモデルで…

虚実混ぜたSNSのアカウントを作って短期間でフォロワーを一気に増やし、獲得した信用を一気に消費して金を稼ぐという手法があります。

よくあるキラキラ系アカウントなんかがそれです。

こういうのならあまり利他的な精神は関係無いと思いますが、そもそもアクティブなフォロワーを獲得するのが難しいのであまり上手くはいかないですね。

やるならコピーライティングを知った上で、時事ネタに上手く乗らないとダメです。

ただし、潜在的な不信感を残すので実業を兼ねている人には向かないですね。

利他的な精神を持っているかどうかは、その人の信用に大きく関わります。

利己的な人間は他人を犠牲にして

「自分だけ楽をしよう」

「自分だけ良い思いをしよう」

としがちなんですよ。

だから、任せられる仕事も少ないし大事な事からは除外されやすい。

潜在的に信用出来ず、気を許せないわけです。

言語化がされていないだけで、人は相手の利他的な側面をよく見ているものです。

実は利他的な精神は高潔でも清廉潔白というわけでもなく、大なり小なり利他的である事は、わりと普通の事なんですよ。

きちんと生業をこなしている人は少なからず利他的な精神を持っています。

社会と接する中で学んでいくからです。

逆に、ある程度以上の年齢になっても自己中心的なままだと、社会の中では「駄目な奴」と判断されます。

だから、長く接するほど他人の自分に対する扱いが冷たくなっていく。

利他的である事は、社会の中で必ず学ぶ必要がある。

自分にとって大して得にもならない事を他人のためにやる事が出来る。

それが信用される大人の条件の一つです。

大人になっても利己的な人が増えてきているのは、今の社会が死にかけているのかもしれません。

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