人は自ら助くる者を助く

哲学系記事
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元の言葉である「天は自ら助くる者を助く」は、天は自分の力で乗り越えようとする人間に味方をするという意味です。

実際のところ天が助けてくれるかどうかなんて知らないですが、少なくとも人が助けてくれる事がある。

人が助けるのも、やはり自らを助くる者です。

今回は、そんな感じの話です。

死ぬほど足掻く

私が自衛隊にいた頃、問題になっていたのが駐屯地に住む営内者の高齢化です。

独身の隊員は、特定条件を満たさない限りは駐屯地の中に住む事を義務付けられていました。

外に住むための最もシンプルな条件が「結婚」です。

ただ、外に住めない隊員があまりに多くなって、営内の部屋が足りなくなるほど圧迫され始めたんですよね。

駐屯地の生活では出会いなどあるはずもなく、売店にアルバイトの女の子が入っただけで行列が出来るほど女性と関わる機会がない。

そのため、私のいた営内では営内者に彼女を作る企画を自発的に行うようになり、私も何度か主導しました。

最初に手探りでやっていた頃、私を含めた数人は街コンに参加していたんですよね。

最初の街コンは私の同期と二人で参加したんですが…

女の子に全く話しかける事が出来ず、男二人で「へ、へへ…」と情けない笑いを漏らすだけで終わりました。

当時の私にとって、イベントに来ている見ず知らずの女性と仲良くなるのはハードルが高かったんですよ。

仲間がいなかったら致命傷でしたね(笑)

次の街コンでは「まずは話しかける」という小学生が友達を作る時みたいなスローガンを抱えて参加しました。

この時は上手くいって、話しかけるだけでなく何人かと連絡先を交換出来ました。

私達だけでなく他の連中も街コンに参加していて、そいつらも首尾よく連絡先を交換。

それからどうしたかというと…

1人1人が交換した女の子に交渉して、ローテーションで合コンを開いたんですよ。

とにかく独身の営内者を次々に参加させて、片っ端から女の子に会わせる。

私が開いた合コンでは自衛隊側の平均年齢が40歳で女性側が24歳の時もあり、後で女性側にクソ怒られた事もありました。

そんな感じでなり振り構わずやっていたら彼女が出来た奴が結構いたんですよ。

後々に結婚に至る奴もいれば、女性に慣れて自力で彼女が作れるようになる奴もいました。

そんな中で、全く彼女が出来ない人達もいました。

一つは、「俺はそういうのはいいよ」と恥を恐れて消極的な人達。

もう一つは、シンプルに不細工な奴でした。

我々も消極的な連中は相手にしなかったんですが、不細工な奴は恥を忍んで「彼女が欲しい」と言ってきたので、全力で応援する事になりました。

私は一緒に筋トレをして、オシャレな奴は服装と清潔感を整えさせて、遊び好きな奴はキャバクラに連れていって女性に慣れさせた。

その間も合コンに優先的に参加させ続けて、そいつが上手く行かずにヘラるのを周りが何度も支える。

半年もすると見た目がわりと整ってきて、若干の自信が顔に出るようになり、マトモに女の子と話せるようになりました。

で、最終的にそいつは彼女が出来て結婚したんですよね。

これ、周りの助力があったのは大きかったんですが、本人がなり振り構わずに足掻いた事が何より大きかったと思っています。

誰も消極的な奴を助けようとは思わなかったんですが、恥を忍んで頭を下げた奴に対してはみんな必死になった。

しかも、そいつは元々プライドが高かったにも関わらず、それでも顔を真っ赤にしながら参加したんですよ。

そりゃ、周りは助けますよね。

自ら変わろうとする意志

前述の合コン計画は簡単にはいかず、失敗の連続でした。

全員が大なり小なり心に傷を負ったし、読者モデルの女の子と合コンになった時は参加を巡って殴り合いに発展しています。

まあ、失敗の話は自虐ネタとして笑いあってはいたんですよ。

ただ、中には本気で見下して

「そんなプライドの無い人間になりたくない」

とマウントを取る奴もいれば

「自衛隊の品位がうんぬん」

と、やたら絡んでくる奴もいました。

嫌がらせをしてくる連中もいましたね。

そういう連中も合コン計画が軌道に乗ってくると、冗談混じりで「俺も呼んでくれよ」と言い出します。

で、だんだん冗談風からガチになっていく。

虫の良い話だとは思ったんですが、自分から言ってくるだけマシだとも思っていました。  

少なからず、今の状況を変えようとする意志があったからです。

逆に、自分から変わろうとしなければ手の打ちようが無いんですよ。

消極的になっている奴を動かそうとしても

「そういうのは良いから」

と、頑なに突っぱねられる。

しかし、周りに彼女が出来はじめると、消極的な人達に私が恨まれるようになりました。

私にどうしろと。

空から美少女が降ってきて、特に理由もなく自分の事を好きになってくれる事に賭けている人は一定数います。

もし仮にそんな事があったとしても、その美少女と上手くいくのは行動を起こした人だけです。

自分は血も汗を流さずに

「誰かが何とかしてくれる」

と考えている限り、何も変わらないし誰も何とかしてくれない。

周りが変わっていくのを恨めしそうに眺めるだけになります。

私は誰に言い訳をしても構わないから、自分にだけは言い訳をしてはいけないと思っています。

せっかく「変わりたいと思う心」や「変わろうとする意志」があっても

「自分はこのままでいい」

「今は時期じゃない」

と、自分で気持ちを砕いていたら、そのうち起きなくなります。

自分に言い訳をする事が上手くなるほど何も出来ない人間になってしまう。

それよりは、緊張と不安と恐怖でゲロ吐きながら進んで、さらに自分の吐いたゲロで滑って転ぶくらいの醜態を晒して、その夜はベッドで泣きながら悶える。

新しい自分に挑戦するなら、そんなんでも全然良いんですよ。

私を古くから知る人間は、私を好きでも私をスゲーと思う人はいないです。

そんだけ色々な人に醜態を晒しながら進んで来ましたからね。

私はいつからか自分に言い訳をするのをやめたんですよ。

怖いもんは怖いし、ダセー部分はダセーし、出来ねーもんは出来ねーです。

人にはそういう部分があっても別に構わない。

ただ、それじゃ通用しない時は変わらないといけない。

で、それを自分で認めているから変わりたいと思えるんですよ。

そうして、少しずつ変えてきました。

だから、私はどんなに無様でも変わろうとする人を馬鹿にしない。

むしろ、その無様さがカッコ良いとすら思える。

誰かに理解されたいのでもなく、肯定されたいのでもなく、ただ純粋に変わりたいと思えるようになる事がとても大事です。

時に人は窮地に立たされる

本当に頑張っていても、なかなか結果が出せない人は

「頑張れ」

と応援されるのが辛くなる事があります。

他に割く時間を削って、身を削って、必死になって、全力で当たっているのに結果に繋がらない。

これ以上ないくらい頑張っている時に「頑張れ」と言われると…

「頑張りが足りない」と言われているような気がしてしまうからです。

「努力が結果に繋がるとは限らない」

高い壁に本気で挑んだ経験、絶望的な苦境で足掻いた経験をした人ほど、この事実を身に染みて理解しています。

こういう時、私が支えになったのは

●自分と同じく全力で戦う人の姿

●解決に繋がる助力

●無言で肩を叩かれる事

でした。

苦しい状況ほど孤独に戦う事が辛いものです。

そんな時は、同じように歯を食い縛って戦う人の存在がスゲー心強く感じます。

解決に繋がる助力は、状況を好転させるだけでなく、希望を見い出せるから折れかけた心を支えてくれます。

そして、無言で肩を叩かれる事。

思い詰めている時は、どんな言葉も素直に受け取る事が出来ないものです。

なんなら他人事でテキトーな事を言われているようにすら思える。

そういう時、肩を叩かれたり、背中を叩かれたり、頭を撫でられたりすると少し落ち着くんですよ。

その行動によって自分に味方がいる事を実感出来るからです。

自衛隊だと荒っぽいからケツを蹴り上げたりバックドロップをする事もあります(笑)

言葉というものは自分の意図に関係なく、受け取り手に左右されます。

その受け取り手が言葉を受け取れない状態なら、何を言っても重荷にしかならない。

そういう時ほど、言葉に頼らないコミュニケーションが大切になってくるわけです。

また、自力で挫折が出来ない人もいます。

限界を遥かに超えていて、心は折れ、状況も変わらず、どうにもならない。

しかし、それでも戦う事を止められない状態です。

そういう時に人を救うのは、逆に言葉だったりします。

「よく頑張ったよ」

「もう十分頑張っただろ」

と伝える事が大事なんですよ。

責任感や義務感、向上心や自分への期待は戦う力になるものです。

しかし、本当にどうにもならない時、それらは重荷になって逃げ道を塞いでしまう。

自分を律する人ほど壊れるまで戦い続けてしまうので、その人の重荷を取り除く言葉が必要になるわけです。

私は「テキトー」という言葉があまり好きではないです。

テキトーさによって他者を苦しめる人を散々見てきたからです。

飲酒運転で人を跳ねるのなんかが分かりやすい例ですね。

ただ、同時にテキトーさが必要な人もいる事を理解しています。

前述の通り、重荷を背負っている人はテキトーさが無いと自力で降ろす事が出来ません。

かといって、テキトーなだけでは何も上手くいかない。

だから、自分を救う「マイペースさ」が鍵になります。

「これが必要だ」と思ったら、恥も外聞もなく周りも無視して全力投球するマイペースさ。

周りがどんなに頑張っていても、どんなに期待していても、自分で「無理だ」と悟ったらスッと諦めるマイペースさ。

周りがどんなに「間違っている」と主張しても自分の意志を通すマイペースさ。

周りがびっくりするほど柔軟に考え方を変えていくマイペースさ。

合わせる時は合わせるし、合わせない時は合わせないマイペースさ。

こういったマイペースさを自分の中に確立していく事が大事なんだと私は思っています。

で、マイペースな方が本当の味方は出来やすい。

なんでもかんでもキッチリしようとする「クソ真面目」ではなく、楽に流れてばっかりの「テキトー」ではなく、頑張ったり頑張らなかったりする「マイペース」の方が魅力になりやすいからです。

多分、世の中のほとんどの人は自分で気付いているんですよ。

「頑張り過ぎては駄目なんじゃないか?」

「今のままじゃ駄目なんじゃないか?」

「本当は自分が正しいんじゃないか?」

「本当は自分が間違ってるんじゃないか?」

「本当はこうするべきなんじゃないか?」

みたいな葛藤を心の奥底に抱えている人は多いです。

しかし、世の中に溢れている言葉や周りの意見に流されて、自分の中にある気持ちを見失ってしまう。

自分の葛藤を肯定する言葉や否定する言葉を求めて、それに極端に従ってしまう。

しかし、自分のベストな生き方は自分にしか決められない。

このブログに書いてある事すら、それが自分のためになるとは限らないです。

人生は厳しく、人には現実に向き合って乗り越える「前向きな姿勢」と、現実から目を反らす「楽観」の両方が必要です。

しかし、世の中には人に好まれる「楽観」寄りな意見が多く、厳しい意見は攻撃の的になる。

楽観的な意見ばかりだと現実と戦える人が少なくなってしまう。

せめて私ぐらいは厳しい意見を書かないと釣り合いが取れないと思っているので、私のブログには「楽観」の要素が少なく、人によっては毒にもなります。

だからこそ、生き方の教科書ではなく考え方の材料に過ぎません。

だから、他人ではなく自分の中に答えを求めて

「マイペースに生きていけ」

と私は思っています。

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