「雑記」自省の話

雑談系記事
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今回は反省の話です。

これを境にしばらく投稿を休みます。

記事による自省

私は、今まで自分で完璧だと思う記事を書けた事が無いです。

これ、なんでかというと…自分でも自覚していない深層心理が混ざっているからです。

私の記事は全く意識せずに

●優しい気持ちで書く他者への語りかけ

●厳しい気持ちで書く自分への戒め

に分かれている事が多いです。

だから、読み返すと自分の深層心理の状態が分かるんですよね。

それはつまり不特定多数に対して深層心理をぶちまけているようなものですが、まあそれは発信者である以上は仕方ないと思っています。

例えば、誹謗中傷に関する記事の内容が苛烈なのは、過去の行いを激しく悔いているからです。

基本的に厳しい記事は無意識に自分へ向けられているので、誰かを傷つけようという気は無いです。

努力に対して厳しいのは、自分には後ろ楯がなく、怠ければ野垂れ死ぬからです。

基本的に背水で生きてますからね。

愛情や家族に関する記事が多いのは、親が子に与えるような無償の愛情の経験が無く、それに対する憧れが強くなってきたからです。

読み返すと、どう見ても必要ない話もあって

「ああ、誉めて欲しかったんだな」

と自分で苦笑いしました。

これは正直クソ恥ずかしい。

なんでここまで追い詰められていたかというと…

最近、身の回りであった事で

●ある仕事を続けられなくなるトラブル

●信用問題に関わるトラブル

●疑惑、不和によるトラブル

●莫大な徒労の発覚

●トラウマによる視野狭窄から来るトラブル

●自分の過去の精算

●絶縁状態の家族からの攻撃

●知人の裏切りの発覚

●不眠・悪夢

といった事が一斉に起きたので、とても冷静とは言い難い状態でした。

これらによって、私が大切にしてきたもののいくつかを、よく分からないまま失っています。

私の場合、落ち込んだり逃げたりすると詰む環境で生きてきたので、キツイ時ほど狂気的に自分を戒めて問題に当たる癖があります。

弱った時に自分の中に起こる悪性や弱さを叩き潰そうとして、その気持ちが記事に反映されるので容赦の無い内容になる。

今回は流石に自分のキャパシティを越えたようで、諭されるまで気がつかないほど変になってました。

そんな中で記事を書いていたので、文中に呪詛が見え隠れします。

これ、自分は良いけどそれを読む人はたまったもんじゃないですよね。

普段は抑えようとしているんですが、ここ最近の記事はスゲー漏れ出ています。

私の厳しい記事は無意識に戒めとして自分に向けられるから苛烈になるだけで、意図して人を傷つけたいわけではないです。

傷ついた人もいると思うので、その人達には本当に申し訳ないと思っています。

自分の状況に対して自分を棚に上げた意見も多いので、ここは自分でもダセーなと思います。

最近は、騙し合いが多くて人嫌いになりつつあるから、自分で書いた記事が頭に突き刺さってます。

自尊心の欠落

あまり人に話したくない事ですが、ここ最近の体たらくに対する反省として書く事にします。

私はかねてより「自分はヤベー奴」と表しますが、わりと普通にヤベー奴です。

その理由は、自尊心がほぼ無い事にあります。

要するに自分を大切に思う気持ちがスゲー少ない。

自尊心が無い分、自己肯定感の低さを補うために誇りや矜持に拘っています。

それらが揺らぐと私も自己の価値に不安を抱きます。

最近は自分の心が腐ってきているのを感じているため、厳しい環境を求めてウクライナに行こうか迷ってるぐらいです。

今抱えているものを全て片付けないといけませんが、私にとっては色々と都合が良いんですよね。

まあ、そんな歪んだ精神の保ち方のため、基本的に私は自分の命より自分が気に入った人達の命の方が重いという状態にあります。

警察、自衛隊、身辺警護の仕事についたのは、おそらくこの辺の意識からも来ていると思います。

私は「死にたくない」という気持ちがあまり無く「特に死ぬ理由が無い」がスタンダードです。

今は「やりたい事があるから」という感じで生きています。

社会のために何かをする、誰かのために何かをする事が私にとっての救いになってもいるんですよね。

この原因が家庭環境なのか先天的なものなのか良く分かりませんが、とにかく笑い事ではなくヤベー奴なのは自分で理解しています。

私が自分自身に高潔さを望むのは、聖人や賢者や英雄みたいな素質からではなく、それらに憧れる心の闇から来る行動です。

そうじゃないと自分が薄汚く思えて、人と接する事が出来なくなるからです。

これは幼少期のトラウマによるものですね。

万が一、私を「推し」と考えている人がいるなら…多分、私はそれに向いていないです。

自分を大切にした上で他人を大切に出来る人が一番立派なんですよ。

少し前に友人から

「お前さんは何者かになりたいんだな」

と言われたんですが、ちょっとだけ違うんですよね。

ただ単に、何者かを目指していないと自分が存在出来ないんですよ。

努力信仰と人助け

私は若い頃はかなりのクズで、無気力ゆえの無能でした。

特に無能っぷりが凄くて、厳しい環境に飛び込んで無理矢理に鍛えるまで本当に酷かったです。

努力をきっかけにして自分を助けてくれた人達の真似をするようになり、心も善良さに傾くようになった。

だから私は、今は悪性の人であっても善性に傾くと考えています。

ただ、人にはそれぞれ頑張れる限界がある。

私は努力によって過労死が出来る人間なので、ブレーキが壊れている自分基準で考えるのは良くないと考えています。

しかし、私はどんな状況にある人間にも期待してしまうんですよ。

何かを取り除けば、何かが変われば、何かきっかけがあればクソみたいな状況を抜け出せる。

能力は向上するし、精神が変化する事を身をもって経験しているから、私は他人に努力を薦めるわけです。

別に努力しない事を責めているわけではなく、ただシンプルに薦めているだけです。

ただ…ここで問題があって、私は自分が考えた事が他人にとっても正しいと思い込んでしまう時があります。

当たり前ですが私も間違える事は多いし、ほんの一握りの正解を掴んでもそれは私にとっての正解です。

正直、他人の人生に口出しをして、自分の意見が正しいなんて押し付けるのは傲慢でしかない。

しかし、誰かが辛い状況にいるならそれを変えて欲しいと思っていて、それを正当化するために幸せを押し付けている事があります。

それは「人助け」ではなく「余計なお世話」なんですよね。

極論を言うと、世の中には不遇なままでいたい人もいる。

幸せは人によって違うから、ある時から迂闊に手を出せなくなりました。

かといって、気に入った人間が不遇にあるのは辛い。

そこで、自分の考えを書き残して参考になればと思ってこのブログを始めました。

ブログは強制力が無いですからね。

ただ、それでも傷ついてしまう人がいる。

誹謗中傷や殺害予告は甘んじて受け入れますが、その人達も少なからず心を抉られたのだと思います。

嫌っている相手にこんな事を言われるのは癪だとは思いますが、その人達にも申し訳ないと思っています。

私の記事によって傷つく人がいるのは堪えるんですよ。

だからこそ慎重に書くべきなんですが、自分の未熟さによって苛烈になってしまう。

優しい気持ちで書けなくなっていくのを感じているから、正直なところスゲー落ち込みます。

常々思っている事ですが…人は完璧にはなれないし、完璧である必要もない。

抱えている問題があったら、それに向き合っていく必要があるだけです。

何かが出来るけど、変わりに何かが出来ないのが人間ですからね。

今まで私が書いた全ての記事の通りに出来る人がいたら、それは人ではない何かです。

私もそれを分かっていて書いているから、自身の考えを「材料」と謳っているわけです。

どんなに力をつけても、どんなに知識や経験を蓄えても、誰かの力になる事はいつも難しいです。

世界征服を企む悪の秘密結社でもいれば、分かりやすいから喜んで戦うんですけどね。

とりあえず、記事が書けなくなってきたから投稿をしばらく休もうと思います。

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