人との関わり方

哲学系記事
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人付き合いの下手な人は、わりと重要な部分を軽視している事が多いです。

人はなんとなく人付き合いのやり方を覚えていくものですが、形骸化した形だけを覚えて中身が伴わない事が原因かなと考えています。

経験上、必要な事を話すと

「誰もそんなことはやっていない」

と言うのを聞いてきました。

やってるんですよ。

私は細かく分解して分析しているだけで、人はフィーリングで普通にこなしているものです。

今回は、人との関わり方で私が重要だと思う部分の話です。

礼と謝罪

礼と謝罪は形骸化しやすいもので、特にそんな感情が無くても言う事が一般的です。

しかし、中には礼や謝罪をすると相手の下になってしまうと考えたり、自分が偉ければ言わなくても良いと考える人もいます。

それは、礼と謝罪を損得で考えていて、自分のためだけに礼と謝罪があると考えているからですね。

わりと私は「お礼を言う事」と「謝罪をする事」を大事にしているんですが、それは自分と相手のために行う事だからです。

例えば、自分が誰かの手伝いをした時、お礼も言われずに「手伝うのが当然だ」という態度を取られたら、やる気を失うと思います。

しかし、お礼を言われると自分の行いに価値がある事を実感出来るし、お礼に心が込もっているほど次も手伝おうと思える。

しっかりと心が込もった「お礼」は、両方のプラスになるわけです。

基本的に人助けは礼も見返りも求めないものですが、心が込もったお礼が言える人は何度でも助けたくなりますね。

ただ、自分の利益のためにお礼を言ってしまうと心が込もらない。

だから、「相手のために言う」という意識が必要なんですよね。

相手の行いの価値を理解して、それをしてくれる事に感謝する。

そのうえで出てくる「お礼」だから価値があるわけです。

また、謝罪も同じく相手のために行うものです。

例えば、人に害を与えてしまった時に謝罪をしなかったら、相手は不利益を被ったまま心も救われません。

シンプルにスゲー腹立つでしょうし、取るに足らない存在のように扱われて余計に傷つくかもしれません。

時には、謝罪が無い事によって嘲笑われているように感じたり、悪意を持って苦しめられているように感じたりする事もあります。

その苦しみを救うために出来るだけ早く、誠意を込めた謝罪が必要になるわけです。

私も謝罪が欲しいタイプの人なんですよ。

基本的に人を嫌いたくないんですが、謝罪が無いほど相手を嫌いになりやすいからです。

私の場合、何かをされたから嫌うのではなく、謝罪が無いから嫌うパターンが多いんですよ。

ただ、中には言い逃れを繰り返したり、とぼけたり、逃げたりして謝罪をしない人もいます。

まあ、謝るのは気まずいし、怒られるのは怖いですからね。

ただ、そんな子供みたいな理由で逃げて良いはずがない。

謝罪は相手のために行う行為です。

相手の苦しみを放置して謝罪から逃げる事。

私はこれを卑怯な行いだと考えているから、頑張って謝罪をします。

自分が苦しめた相手を助けるために頭を下げるんですよ。

だから、殴り合いをしている最中ですら、自分の非に気が付いたら私は頭を下げます。

で、謝罪をしない人って基本的に他者に対して理不尽なんですよ。

謝罪をしないって、自己中心的な発想ですからね。

相手に害を与えておいて、嫌われるのが怖いから自分から嫌う…みたいな人すらいます。

そういう時、私は受けた害に対する報復をする事があります。

理不尽がスゲー嫌いですからね。

逆に、謝罪が早くて誠意があるほど、すんなり許します。

私は追及して謝らせるのが嫌で、自発的に謝って欲しいんですよね。

追い詰められてからの謝罪なんて、そこに誠意などあるわけないですから。

しかし、優しく諭すだけでは認めず、警告しても楽観的に構え、胸ぐらを掴んで殴ろうとした時に初めて申し訳無さそうにする人もいる。

だから私は、言い逃れと嘘を重ねて認めなかった結果、証拠を突き付けられるまでに至った人間には、ある選択を迫る事があります。

まあ、世の中は泣き寝入りしたり、何でも笑って許してくれる人ばかりではないんですよ。

だから、謝罪は処世術としても必要なスキルですね。

自分の行動に責任を持っていたら、謝罪は自然と出てくるものです。

逆に、謝罪から逃げるように生きていると失うものばかりです。

相手を大切にする

私がされて嫌な事の一つが

「私に後ろめたい事を隠れて行われる事」

です。

まあ、普通は誰でも嫌だと思いますが、私の場合は…ほぼ100%気付いてしまうんですよ。

特殊な環境で育った事による洞察力と、公安職やセキュリティの仕事で培ってきた観察力や直感が働くからです。

演技する事、騙す事、気付かれないようにする事、これらは研鑽を積んだプロでも難しいのに、素人芸ではたかが知れています。

それが通じると思っているのは人や世の中を甘く見ているからです。

大抵の人は

「なんでバレた!?」

という反応をするんですが、私からすれば

「なんでバレないと思ってるんだ、アホなのか?」

と、いつも思っています。

ただ、証拠を掴むのは時間がかかるし難しい。

証拠が無い事を問いただしても素直に答えない人が多いし、逆ギレされる事にもなる。

まあ、どんなに確信に近くても「疑い」だし、誤解の可能性もありますからね。

しかし、この何かに気付いてる状態って、もの凄くストレスになるんですよね。

私の場合、普通の人が全く気付かない些細な違和感にも気が付くので、余計にストレスになります。

発覚した後で「悪意は無かった」と言われる事もありますが

「相手に後ろめたい事を隠れてやる」

これ自体が悪意以外の何者でもないです。

少し前に私が精神のバランスを崩した原因の一つですね。 

一部の人に「浮気されたの?」と聞かれたんですが、妻も彼女もいないです(笑)

実は個人情報や盗聴による音声・会話データの流出があったんですよ。

私の個人情報は一部に需要がありますからね。

それによって大きなトラブルになり、2つの仕事が続けられなくなって生活が少しヤバくなりました。

「どうしてそんな簡単に人を裏切る事が出来る」

「どうして人の信頼を嘲笑うような事が出来る」

「どうして人の情を踏みにじりながら平気で笑っていられる」

「この世に神はいねーのかクソが」

と、流石に思いました。

私は関わってきた仕事上、自分の個人情報をあまり人に知られたくないんですよ。

最悪、死にます(笑)

だから、不正な手段で私の情報を得ている人を死ぬほど警戒するし、場合によっては制裁を加えます。

人間関係を自己中心的に行っていると

「バレなければいい」

と考えがちです。

それによって相手が苦しんだり嫌な思いをする事を考えず、ただ自分の保身と私利私欲の事しか考えていない。

相手を消耗品のように扱っているわけです。

で、「人間はみんなそういうものだ」と勝手に考えていたりする。

そんなわけがないです。

相手を大切にするという事は

「自分がされて嬉しい事をする」

「自分がされて嫌な事をしない」

とは、また少し違います。

「相手がされて嬉しい事をする」

「相手がされて嫌な事をしない」

が正解で、そのためには相手がどんな風に考えて、どんな風に感じるのかを理解する必要があります。

本当に相手を大切に考えていたら理解しようとするし、そのために本音で話をするものです。

良好な人間関係は、お互いの譲歩によって成り立ちます。

互いのストレスにならず、互いのプラスになる関わり方を模索していくから上手くいく。

自分の快適さと利益ばかりを求めるのは、駄々をこねている子供と一緒です。

逆に、気を使ってばかりで自己主張をしないのも、躾をされた子供と一緒です。

●自分の意見を言う。

●相手を尊重する。

この二つは親密な関係の構築に必要になるもので、これをしないで作る関係は…騙し合いか化かし合いのようなものです。

余談ですが…

時代の流れに逆行した意見ですが、殴らないと伝わらないほど話を聞かない人が増えています。

リスク管理能力の低さや視野の狭さから、犯罪行為や半殺しにされてもおかしくない事を

「へーきへーき」

と、テキトーに考えてやる人も多い印象です。

この前は、警察官の制止も聞かずに赤信号を渡って車に跳ねられそうになった若者がいました。

野生のヒグマに遭遇したら自撮りを始めそうなくらいの危機感の無さで、流石にヤベーなと思い始めています。

私の世代だと何かをする時は法律を調べたりする人が多いんですが、今の人はロクに調べもせずに違法に電動キックボードを乗り回して検挙されたり事故を起こしています。

マジで思考が幼いです。

制裁を加えるという事も今の世の中には必要なんだと思います。

ハッキリ伝える

親密な関係は相手を尊重しながら意見を交わし合う事で生まれていきます。

それは少しずつボールが大きくなっていくキャッチボールのようなものです。

相手に言葉や動作で感情を伝えて、受け取った相手もまた伝え返す。

そうする事で感情が大きくなっていき、信頼が生まれます。

ただ、返球を待たずに一方的に感情を投げ続けたり、返ってきたボールに対して特大の感情をぶつけたり、ボールを受け取るばかりだったり、妙な義務感で返してたりすると破綻します。

キャッチボールなので、来たボールをパシッ、パシッと気楽に投げ合うイメージで意見を交わしていく事がスゲー大事です。

で、特に大事なのがハッキリ伝える事なんですよ。

そうしないと確実にすれ違います。

ブラインドメッセージという手法があって、直接ではない間接的なメッセージの事を指します。

例えば

「マッチョのくせに小難しい変なブログ書いてるオッサンっているよね」

という意見を私に対するブラインドメッセージだとして、極端に捉えると

「テメーの事が嫌いなんだよボケカス死ね」

という意味になります。

で、私はこのブラインドメッセージがあまり好きではないので、なるべく使わないようにしてるんですよ。

私の言葉の裏を読もうとする人が増えて、言葉がそのまま伝わりにくくなるからです。

しかし、世の中にはブラインドメッセージを好む人が多く、言葉の裏を読もうとする人も多いです。

「優しい人には幸せになって欲しい」

と記事に書くと

「あなたの事が好きです」

と解釈する人もいます。

夏目漱石か。

私は感覚がジジイなので、会った事も無い人に恋愛感情は抱かないです。

ブラインドメッセージは曲解しやすく、死ぬほど勘違いや誤解を生みやすいんですよ。

例えば、私のブログを見た人の反応。

「僕の事をこれ以上書くなら警察に行きます」

という意見。

「誰だよお前」

というのが正直な感想です。

また

「伍長さんの期待に応えようと頑張ったんですが、生きていく自信が無くなりました」

という意見。

「期待してないよ、気楽に行け」

「あと、誰だよ」

というのが、私の率直な意見です。

また他のやつで

「あなたは魅力的な方だとは思いますが…申し訳ありませんがお付き合いする事は出来ません」

という意見。

「なんで知らねー奴に知らねー所で一方的にフラれてんだよ、殺すぞ」

というのが私の本心です。

ブラインドメッセージの解釈には必ず自分の妄想も含まれます。

ブラインドメッセージに頼りきると言葉や文章の裏を読むのが当たり前になり、自分の中で曲解したストーリーが出来上がって上記のような勘違いをしてしまうんですよ。

で、それによって少なからず私に被害も出ています。

だから、変な誤解をしないように分からない事があるならDMなりコメントなりで聞いてくれと言ってるんですよ。

言葉の裏は日常的に読むものじゃないです。

それはコミュニケーションを阻害しますからね。

だから、私は意図的に「察しない」をよくやります。

それは変な誤解を生まないためです。

察して貰う事は楽です。

何の責任も負わなくていいし、いくらでも言い逃れが出来る。

しかし、ブラインドメッセージに頼ると見える物が見えなくなり、存在しないものが事実に思える。

一時期、私のブログもブラインドメッセージの曲解に配慮し過ぎて窮屈な記事ばかりになりました。

曲解による誤解を解くのにスゲー四苦八苦して記事が変な方向に行ってしまった。

それを教訓として、これからは

「口があるならハッキリ言え、分からないなら聞け、なんでもかんでも裏を読むな」

の精神でやっていこうと思います。

自分の意見を相手にハッキリ伝える。

相手の言葉を曲解しない。

コミュニケーションの基本ですね。

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