正気と狂気

哲学系記事
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狂気は、精神が常軌を逸している事が一般的な意味ですが、大胆で慣習に囚われない事もまた狂気です。

必ずしも正気でいる事が良いとは限らず、常識の枠外に出ようとするならば狂気が必要になります。

狂気はネガティブな意味で使われがちですが、私はどちらかというとポジティブな意味で使う事が多いです。

正気も狂気も、評価されるかどうか、必要かどうかは居る場所次第なんですよね。

身辺警護なんかも狂気が必要だと私は思っています。

今回は、そんな感じの話です。

警戒心と猜疑心

身辺警護員の職業病は「妄想性パーソナリティ障害」だと私は思っています。

妄想性パーソナリティ障害とは、他者の言動を悪意のある物だと解釈したり、根拠もなく不信になったりする精神障害です。

優秀なセキュリティには狂気が必要なんですよ。

身辺警護の仕事は言ってしまえば

「起きるかどうか分からない危険を常に警戒する事」

なので、仕事中は凄まじい集中力を使って警戒します。

ただ、これを正気でやっていると「どうせ何も起きない」と必ず警戒が緩みます。

まあ、日本の身辺警護は滅多にトラブルなんて起きないものですが、起きる時は起きます。

身辺警護はディフェンス側なので、状況を先読みしていないとまず対処が出来ない。

鉄パイプ持った怖い人が襲ってくるなんてテンプレートな危険なら楽で、目に見えて分かる危険ばかりではないです。

マトモな発想では防げない事もあるので

「ベビーカーを押している主婦が突然ナイフで刺してくる」

みたいに頭おかしい事まで想定する場合もあります。

身辺警護は通常2名以上で行うのが基本で、1名が先回りをして安全を確保するから、見かけよりは安全な仕事なんですよ。

ただ、私の場合は1人で行う「用心棒」が多く、そういう時の方が変わった内容になりやすい。

だから、常識外の発想であらゆる事を警戒するので、その時は妄想性パーソナリティ障害と大差ないです。

私は普段、ONとOFFがハッキリしているので問題ありませんが、身辺警護員の中にはそのまま精神障害になってしまう人もいるようです。

ただ、私も精神のバランスを崩すとONとOFFの切り替えが出来なくなる事を最近になって痛感しました。

自分を好意的に見てくれたり愛情を向けてくれる人達まで疑うのは人として良くない。

私はやはり人が好きだし、人が好きなままでいたい。

些細な事で人を疑うよりは、騙される愚者でいたい。

だから、そろそろ身辺警護も潮時かなと思っています。

中途半端な事をするよりも、ひたすら平和か逆に極めて危険な仕事の方が幸せに生きられそうです。

警戒心と猜疑心は非常に性質が近く、自分で気付くのは困難です。

思考力や経験則によって論理的にリスクヘッジをする警戒心と、恐怖やトラウマから来る妄想によって疑いを持つ猜疑心。

全然違いますが、どちらも警戒には変わりありませんからね。

ただ、警戒心を抱いている時はわりと冷静で、猜疑心を抱いている時は負の感情がある事が多いです。

猜疑心の根本は人に対する不信感ですからね。

負の感情を抱いている時、人は冷静ではない…つくづくそう思います。

また、病的に嘘をつく人や陰口を好む人が近くにいると、自分も性質が近づいていきます。

そうなると猜疑心が強くなりやすく、そういう人が増えた職場は疑心暗鬼に陥るのでストレスになりやすいです。

人はどんなに気をつけていても関わる人に影響されるもので、知らず知らずの内に影響されます。

だから、自分が関わる人はスゲー大事な要素です。

人には色々な魅力がありますが、個人的に「素直さ」は良い素質だと思います。

素直な人を見ると心のリハビリになって猜疑心や負の感情が消えていく。

私が持つあらゆる能力よりも、素直でいられる事の方がよっぽど尊いと思います。

…ちょっと脱線しますが、誤解の無いように話しておきます。

嘘をつく事が全て悪いというわけではなく、正直でいる事が必ずしも正しいというわけではありません。

生きていくうえでは、ある程度の嘘も必要です。

ただ、頻繁に嘘をつかなければ生きていけない人達がいます。

「嘘をつかなければに人に認めて貰えない」

と考える人は多いですし、それは事実なのかもしれません。

ただ、それは誰しもが最初はそうなんですよ。

だから、人に認められるような人間を目指していくんです。

嘘に頼らない自分の魅力で人を惹き付けられるように、努力して自分を変えていく必要がある。

その第一歩は、なるべく嘘をつかないようにする事なんですよ。

愛情

「夜回り先生」の名前で有名な水谷修さん。

この人は青少年の非行防止に取り組んできた方で、会った事は無いんですが著者や発言などから「本物」だと私が思う人物です。

持っている世界観や価値観、教育論などに見られる「自分の正義」、抱えてきた痛みや疲弊と混乱や失望がまさに与える側の精神の人だからです。

極端な部分や歪んだ部分も包み隠さず持っていて、なおさら本物っぽいなと思います。

個人的には出来るなら一度会って話してみたいですね。

こういう人は他者に対する深い「愛情」を持っています。

愛情と聞くと恋愛に結びつける価値観が強いですが、見返りなく他者や社会のために尽くせる優しさや強さを「愛情」と呼びます。

与える側の精神を持つ人達は夜回り先生の活動みたいなものに触れた時、好意的に見る事が多いです。

それが愛情から来るものである事を理解しているからです。

ただ、愛情を持たない人には、その精神が全く分からない。

「自分に何の得も無い事をするわけが無い」

「良い人を演じている売名行為だ」

「青少年が好きなロリコンだ」

なんて言われたりもします。

人は自分を基準にして人を見るもので、無意識に自分と他人が同じだと考えます。

「愛情」を持たない人には活動の原動力がよく分からない。

通常、人の原動力は「欲望」ですからね。

それゆえに欲望を基準に考えて、穿った見方をしてしまいます。

まあ、実際のところ世の中には気に入られるために「良い人」を演じる人も多いから、愛情を持たない人にそれを見分けるのは難しい。

全てが偽善者に見えるでしょうし、私自身も昔はそうでした。

ただ、本物の良い人の根本は「愛情」なんですよ。

愛情を持つ人には、その根本の部分がなんとなく分かります。

人に対して愛情があれば、見返りがなくてもその人に尽くそうとします。

社会に対して愛情があれば、見返りなく社会のためになる事をしようとする。

ただ、それは決して楽ではないです。

愛情を持たない人に愛情を向けても、その行いは軽視される。

社会に対して愛情を抱いても、その行いは利己的な人々によって徒労に終わる事もある。

だから、時に愛情を与える事は苦しみを背負う事でもあるわけです。

愛情を与える人が求めているのは、その人が救われる事です。

愛情を与える人が喜ぶのは、同じ愛情を与えられる事です。

別に欲望が無いわけでもないし、普通に欲望を満たす事もしますが、それと愛情を与える事は別なんですよ。

愛情を持つ人は欲望よりも愛情が大切になりやすいというだけです。

これは大人が見ている景色なんですよね。

精神が大人になると父性や母性が強くなり、少なからず愛情を持つものなので、友人や家族など身近な人に向けられます。

異性に向いた愛情が相互に向けられるようになると、愛情がベースの恋愛感情になる。

夜回り先生みたいに愛情が極めて大きい人は、大勢の人や社会全体にも愛情が向くわけです。

ただ、極めて大きい愛情は狂気の領域です。

正気の人間は自分の周りにしか愛情が向きません。

私は自分や自分が気に入った人達のために社会が良くなって欲しいと考えていますが、社会そのものに対して愛情を抱くのは狂気の沙汰です。

何かを成し遂げる人というのは何かしらの狂気を持っているもので、その一つが愛情なのだと思っています。

クリエイター

クリエイターは基本的に狂気でいた方が良いんですよね。

例えば、椅子やソファーのデザイナー。

ヨギボーの「人をダメにするソファ」みたいに、不定形なソファなんて物は常識的な発想から出て来ないです。

普通の人とは全く違う、常識に囚われない考え方こそが狂気であり、それがクリエイターの武器なんですよ。

創意工夫がクリエイターの仕事の主幹で、常識外の発想が出来るほど独創的な物が生まれます。

で、クリエイターは普段からも発想が独創的な人が多く、それゆえのコミュ障も多いです。

人と会話が噛み合わない事も多く、そういう人を私は「天才」と呼びます。

私は正気と狂気の狭間に生きる人間なので理解が出来ますが、正気側の人とは相性が悪い人も多いですね。

ただ、スゲー天才であるほどスゲー狂気的なので、私も世界観を理解するまで時間がかかる事があります。

初対面だとマトモに会話が出来ない事が多く、天才だと思う人ほど最初は気まずい空気になったりします。

また、近年で私が会った人の中で最も天才っぽいなと思った人が…今は兵士として戦場にいるんですよ。

スゲー独創的で面白い人でした。

兵士は創意工夫するものなので、クリエイターと通ずる所があるのかもしれません。

少し話は変わりますが、私は

「物語を作る人ほど、人をよく観察して理解している人種はいないな」

と、たまに思います。

どんなジャンルの物語でも、ハッとするほどリアリティのある描写があったりします。

例えば、ドゥームズデイクロック(DC)のアメコミ。

登場するヒーローも悪人も狂人みたいな人が多いです。

有名なバットマンは、度重なる悪党との戦いや不幸によってギリギリの精神状態にあるという…闇の深いヒーローです。

バットマンの宿敵であるジョーカーは、妻子を失い、薬品によって変貌した自分を見て狂気に陥ったという悪役で、敵対するバットマンに対しては純粋な悪意ではない別の感情を抱いています。

私もコミックのようなヒーローや悪人が現実にいるとしたら、間違いなく狂気と心の闇を持っていると考えています。

それぐらいヒーローや悪人は行動が異常なんですよ。

で、そういうリアルな作品が描ける人は本人にも狂気があるか、またはそういう人を観察して狂気を価値観に取り込んでいるんじゃないかと考えています。

複雑な内面を持つ登場人物が多数登場する作品は、およそ1人の頭から考え出されたとは思えないぐらい多彩ですからね。

常識の範囲外にあるものは狂気によって生まれるもので、有名か無名かに関係なく異質さを持ちます。

正気であるほど狂気を理解出来ず、狂気であるほど正気を恐れる。

どちらが良いかというのは、自分の立ち位置次第ですね。

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