弱者の矜持、強者の矜持

哲学系記事
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人は生まれ持った素質だけで強者や弱者になるとは限らず、わりと行動によって左右されます。

だから、人生の中で誰しもが弱者や強者を経験するもので、その立場は不変ではありません。

で、別に現段階で弱者や強者である事は大した問題ではないんですよ。

肝心なのは行動に対するプライドである矜持(きょうじ)です。

今回は、そんな感じの話です。

誰しも人は強者にも弱者にもなる

強者や弱者とは、その人の「素質」ではなく「状態」の事を指します。

例えば、私は戦う事が得意なので、この分野においては比較的に強者であると考えています。

しかし、IT企業やアーティスト活動の現場に放り込まれたら赤子同然です。

つまり、人は不得手な分野や未経験の分野では弱者という事です。

弱者とは相対的な評価なんですよ。

小学生の中に混じって殴り合いの喧嘩をすれば私は圧倒的に強者ですし、画家の集団に混じって絵を書けば私は圧倒的に弱者です。

自分の手の届く範囲にいたら誰しもが強者でいられる事が出来る。

しかし、一歩でも未踏の領域に踏み出したら、大抵の場合は弱者になります。

上昇する人間や先へ進む人間は何度も弱者を経験します。

しかし、実力をつけて新たな領域で強者になっていく。

それを繰り返すと手の届く範囲が増えて、出来る事が多くなっていきます。

人はわりと強者や弱者になるもので、挑戦を繰り返して成長していくんですよね。

しかし、自分が強者である事に拘ると縮こまって手の届く範囲から出られなくなってしまう。

だから

「自分は強い人間だ」

と思うのではなく

「特定の分野においては強い状態」

という認識でいた方が良いと私は考えています。

で、これは他の人もそうなんですよ。

他者もまた、特定の分野において強いというだけです。

だから、不変で根本的な強者は存在しません。

ただ、社会には価値のある項目があって、社会的な価値が高い分野が得意なほど、社会では強者になりやすい。

漫画「ドラえもん」では、あやとりや射撃が得意なのび太よりも、喧嘩が得意なジャイアンの方がヒエラルキーは上です。

子供の世界ではフィジカルの強さがヒエラルキーに直結しやすいですからね。

「喧嘩」だけを価値の基準とした場合、のび太には存在価値が無いんですよ。

ただ、のび太の特技は違う分野で大活躍しますし、人間性ではお年寄りや迷子の子供を助けたりして役に立ったりもしています。

喧嘩が弱いから価値が無いという考え方は間違いで、喧嘩において弱者であるのび太を助ける事は無意味ではないわけです。

で、世の中には社会的な弱者を軽視する考えの人が一定数います。

例えば、「経済」という側面だけで見ると、強者からは貧困や生活苦にある人を救う事は無駄に思えるのでしょう。

しかし、生活保護や児童養護施設によって助けられながら成功した人もいますし、障害で就職が難しくても様々な活動に従事している人もいます。

また、世の中は金だけで回っているわけではないんですよ。

経済活動に参加していない人が誰かの心の支えになっている事はよくありますし、金にならないけど社会にとって価値のある物を生み出す人もいる。

社会的弱者を見下す人でもストレスは溜まるし、娯楽や嗜好品を嗜むものです。

その娯楽や嗜好品を提供しているのが社会的な弱者である事もあれば、その提供者を支えているのが社会的弱者である場合もあります。

個人的に感心したのが、史跡の保護みたいな予算が確保出来ない分野のボランティアをするために、ニートをしている人もいるんですよね。

ここまで話して分かると思いますが、弱者とは特定の分野における存在で、他の分野では価値がある事も多いです。

考え無しに弱者を切り捨てると、社会の見えづらい部分に綻びが生まれる。

まあ、悪行を働くばかりの人間も中にはいるので、シンプルに社会のマイナスになる人もいるにはいます。

ただ、それはごく少数の話で、その少数のために価値ある弱者を切り捨てるのは合理的ではないと考えています。

弱者の矜持

社会的な弱者に対して風当たりが冷たくなる原因の一つに

「弱者という立場を悪用する人達」

がいる事があります。

今の社会は、個人が頑張るべき所と社会が助けるべき所の境界線が結構あいまいです。

そのため、次から次へと不平不満を述べて要求を繰り返す、高圧的な弱者の人達がいるんですよね。

弱者である自分のために社会は尽くすべきという考えの人達です。

先にも述べましたが、弱者は状態なんですよ。

だから、基本的には個人の努力で抜け出すもので、その障害となる物を取り払うために社会は助力をします。

例えば、私は事故で両足を失ったら今の仕事が出来なくなります。

そうなったら私は、本を書いたりwebライティングなどの仕事で生活すると思うんですよ。

それが無理なら出来る事を増やして他に出来そうな事を探す。

ただ、軌道に乗るまでは生活が厳しいから、障害年金や生活保護の申請をします。

「軌道に乗るまでの期間」という障害を越えるために社会の力を借りるわけです。

自分1人で出来る範囲は何とかしようとするし、助力を受けたら恩に感じて別の形で返そうとする。

それだけでなく、出来る事を増やして社会的な強者を目指しもする。

こうやって人に助けられながらも自立を目指して努力し、弱者から強者へ這い上がっていく。

これは弱者の矜持だと思っています。

ただ、弱者の状態は自己肯定感が低くなるものです。

短絡的に満たそうとすると、自分より下の人間を求めて誰かを攻撃したり見下そうとする。

これはSNSだけでなく、現実にも普通にいますね。

私が助力した人達の一部には

●弱みを握ろうとする

●強烈にマウントを取ろうとする

●見下して利用しようとする

●穿った目で見て憎しみを抱く

という人もいて、自分を助ける相手にすら攻撃的になる場合があるんですよ。

それをやって満足していると弱者のまま変われません。

他者を貶めて自分が上だと錯覚しても、自分自身は弱者のまま何も変わりませんからね。

当初、私はこれに腹を立てていたんですが…

弱い人は本当に弱いのでどうにもならない事が多く、今は諦めています。

ただ、それ以外の助けを必要としている人は

●自分の力で出来る事はやろうとする

●素直に弱さを認める

●助力に感謝する

という人の方が多かったです。

この違いは人としての芯の強さで、その芯の強さは善性から来るものなんですよ。

だから、善人は弱者になっても盛り返す人が多いんですよね。

そこに弱者の矜持があるからです。

強者の矜持

世の中には武闘派と呼ばれる人達がいて、この人達は優しい人が多いんですよ。

本当に強い人は厳しい研鑽を積んできた人が多いから精神も強い。

精神が強くなって安定するほど父性も強くなるので、他者に対する愛情を持つから優しくなるわけです。

父性は武闘派に限った話ではありません。

厳しい研鑽を積んできた、戦いに勝ってきた、競争に勝ってきた、何かを成功させてきた、誰かの助けになってきた…

などなど、その人の生き方によって大きく変わるものです。

父性は見返りが無くても何かを守ろうとする性質でもあります。

今まで私を助けてくれた人達は、誰一人として私に見返りを求めませんでした。

ただ、一点だけ

「今度はお前が誰かを助けろ」

という事だけ言われていましたね。

当時の私は、その人達への見返りに何かしなくても良いのだろうかと考えていたんですが…

その人達に近い精神に辿り着いたら、その必要が無い事を理解しました。

スゲー頑張っていても上手くいかない人。

潰れそうでも背負った重荷を下ろせない人。

辛くても必死に我慢して戦っている人。

どうしようもない不遇に耐えている人。

…こういう人達を見ると心が締め付けられるようになって、この人達を何とかしたいと思うようになった。

ただ、自分の知らない所で耐えている人もいるもので、私にはどうしようもない場合が多い。

だから、自分以外にも誰かの力になろうとしている人がいると、その存在がスゲー心強く感じます。

世の中に誰かを助けようとする人が自分だけだったら、それはスゲー怖い事です。

私を助けてくれた人達も、そういう理由から誰かを助ける人間になって欲しかったんだなと思ったわけです。

意識してか無意識か、意図してか偶然か、世の中には誰かを救おうとし、誰かの力になろうとする人達がいます。

様々な人と向き合う人、社会悪と向き合う人、弱者を庇おうとする人、生き様で語ろうとする人。

会社やNPO法人だったり、配信者や動画制作者だったり、作家やブロガーだったり、格闘家や兵士だったり、エンターテイナーやインフルエンサーだったり…様々な人が自分の領域で自分の正義を貫いている。

この人達は生業でもあるから、見返りを求めないわけにはいかない。

ただ…報酬のためだけではなく、その中でも誰かの力になろうとする事。

これは強者の矜持なんだと私は思っています。

強者の矜持を持つ人を見る度に、世の中は捨てたもんじゃないなと思えます。

これは個人的な意見ですが…

自分の損得ばかり考えて、他人の存在も損得で捉えて、自分のためにだけ命を使う人生は満たされない。

誰かのために生きるから自分の人生に価値を感じる事が出来る。

しかし、今の世の中はこれが理解出来ない人が多いように感じています。

まあ、若い頃の私もそんな感じでしたし、ある程度まで人間性が育たないと分からない感覚なのだと思います。

小学生が高校の授業を理解出来ないように、未熟な精神性では成熟した精神性が理解出来ないものです。

成熟した精神性には、そこに至るまでの研鑽があって、矜持があって、何かしらの信念がある。

これらは一朝一夕で身に付くものではなく、その人が人生の中で積み重ねてきたものです。

家族の為に働く父親や母親が、家族の前でニコニコしていられるのはスゲー事だし、

組織や集団のリーダーが私利私欲に走らずに全体の事を考えられるのはスゲー事だし、

誰かの為に、各々の戦場でプロとして戦えるのはスゲー事です。

彼らには強者の矜持がある。

強いからこそ弱い者のために戦える。

他者のために優しくなれる強さがあるから、色々な物を我慢して耐えながら戦っている。

こういう人達を見ると、私も触発されるんですよ。

最近は、改めて自分に出来る事は何かを考えています。

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