鶏口の覚悟

哲学系記事
スポンサーリンク

鶏口とは鶏のくちばしの事で、小さな集団で先頭に立つ者の比喩表現です。

意外と先頭に立ちたがる人は少なく、勇んで先頭に立ったものの覚悟が無い場合もある。

当たり前の話ですが、先頭に立つのは難しい。

プレッシャーと責任、そして全うすべき責務があります。

それを理解しているかどうかは、目に見えない大きな差になる。

今回は、そんな感じの話です。

集団の長

集団をまとめた事が無く、それに関する知見も無い人の中には

「社長になると偉そうに出来る」

「一番偉ければ好き勝手に振舞える」

と考える人もいたりします。

リーダーや指揮官など、集団の長にかかるプレッシャーや責任を知らないからですね。

集団の長はクソ気を使います。

自分の意志よりも優先すべき事が山ほどあるからです。

規律の維持、士気の維持、集団の合理性、集団のストレス、集団の疲労、集団の発展、リスクやトラブルの対処などなど…やるべき事は無限にわいてきます。

それらを放置すると集団のパフォーマンスが下がり、最終的には瓦解するからです。

一人で全てをこなせる人はなかなかいないので、普通は分担します。

会社なら社長が外部との顔を繋いで副社長が実務を取り仕切ったりしますし、軍隊なら指揮官が支持を集めて補佐官が規律を維持したりします。

で、お互いにフォローし合うから上手くいきます。

基本的には利他的じゃないと集団の長は務まらないんですよね。

私利私欲に走る人だと、やるべき事よりも自分の都合を優先してしまう。

集団の長に必要な事は誰かが親切に教えてくれるものではないので、大抵は自分で考えながら掴み取っていくものです。

トップの人間が好き勝手に振る舞うと、集団は気力を失っていき衰退していきます。

自分一人の事なら自分が責任を負うだけなんですが、集団だと全体を巻き込んで全員が不利益を被ってしまう。

これを理解していると好き勝手なことは出来ないんですよ。

だから、集団の長はわりと不自由なものなんですよね。

少し話が変わって、私が仕事を貰っている会社の一つにいる役員の人は、昔は暴走族で人をまとめる立場だったそうです。

合理的で頭の回転が早く、腰が低く、フットワークが軽く、決断が早く、話をしっかり聞くけれど話を聞き過ぎない。

…そして、慢心や怠惰など、人としての器の底を見せない。

「ああ、力で集団をまとめていた人だな」

というのが一発で分かります。

優秀な集団の長には特徴があって、色々なタイプがいます。

誠実である事を前提として…

●強い人や賢い人なら、人は付いていきたくなる。

●明るい人や優しい人なら、人は寄り添いたくなる。

●一生懸命な人や素直な人なら、人は支えたくなる。

下にいくほど付き従う人の自我が強くなりますが、その変わり1人1人が自主性を持って個々の力を発揮するようになります。

これらの特性が突出するとカリスマ性として発揮される。

人をまとめる経験をしていく中で、その人の特性に合ったやり方を覚えて行きます。

その中で大切な事は、自分なりに集団を背負う覚悟を決める事です。

最前線の覚悟

誰かの後を追う時、誰かの下につく時、例外を除けば自分の前を走る人がいるので道が見えています。

ただ、先頭を走る時、集団の長に立つ時、独立する時などは自分の力で道を拓く覚悟が必要になります。

自分の前に人は無く、社会と最前線で戦わないといけないからです。

例えば、マラソンをする時は前を走る人についていけばゴールに辿り着けます。

しかし、先頭を走る人はコースを把握して路面の状況を見て選択しながら走らないといけない。

最前線に立つ事は付き従うことよりも遥かに難しいわけです。

最前線に立つなら自分の頭で考える事が必須になります。

例えば、個人事業主は登録が簡単なので誰でもなれます。

肝心なのはそこで稼げるかどうかです。

一から十までビジネスのやり方を聞いて真似するだけなら、大人しくどこかの企業に雇われていた方が良いんですよ。

正規雇用と違って、個人事業主は結果を出さないと生活が成り立たない。

現実に合わせて、やりたい事を後回しにして、まず結果を出さないといけない。

自由なのは裁量があるというだけで、好き勝手にやれるわけではないんですよね。

実力が必須で、その実力とは経験と人脈…そして考える力です。

誰かのノウハウを真似するだけなら誰でも出来てしまうから、それは実力とは言い難い。

知見から来る自分なりの工夫やアイデアが必要になります。

様々な制約を理解した上で発揮出来る自分らしさが実力となるわけです。

一時期は個人事業ブームになって多くの人が安定した立場を捨てましたが、最前線で戦う覚悟が無い人が多かった。

「休みがもっと欲しい」と個人事業主になったものの休みが無くなかった…という人も多いです。

最前線の覚悟も「無知の知」なんですよ。

鶏口となるとも牛後となるなかれ

有名なことわざですね。

「鶏口」は小さな集団の長で「牛後」は大きな集団の末端構成員の事を指しています。

例えば、大企業には優秀な人材が集まりやすく、大きな仕事を任せられづらいから経験になりにくい。

組織内での競争は厳しく、出世も難しい。

一方で、ベンチャー企業では人が少ないから、大きな仕事を任せられやすく経験になりやすい。

先頭に立って周りを引っ張る経験も積めるから、成長に繋がりやすくもなる。

原理としてはそういう意味です。

まあ、世の中にはキャリアという概念もありますし、組織や業界の性質、人の能力や特性もあるから必ずしも鶏口になる事が良いとは限りません。

この言葉は要するに、集団を背負う覚悟と最前線の覚悟を知れという事なんですよ。

別に誰もが集団の長になったり、先頭になる必要は無いです。

向いていない人はトコトン向いていないですからね。

ただ、その覚悟を知らないと勝手な事を言ってしまう。

例えば、組織にとって現場の意見は結構重要です。

ただ、現場の意見は主観に偏ったものが多い。

マトモな意見よりも単なるワガママが多くなるから、上層部は現場の意見を聞かなくなってしまう。

ワガママが多くなるのは鶏口の覚悟を知らないからです。

例えば

「会社の制服を私用で着るな」

という指示があったとします。

で、こういう時は必ず

「私用で着た方がPRになっていいじゃん」

という意見を言う人がいます。

しかし、PRになるとは限らないんですよ。

もしかしたら制服を着ながら歩きタバコをする人がいるかもしれないし、酔って他人に迷惑をかけたりするかもしれません。

それを見た人は、個人よりも会社に対して悪い印象を持つ。

自分はしないかもしれませんが他の人は分からないし、自分だけに許可したら他の人は確実に不満を抱いてトラブルになります。

会社にとってイメージはスゲー大事なので、大きい会社ほどPRのメリットよりもイメージダウンのリスクを気にする所が多いです。

主観的な合理性と俯瞰的な合理性の違いですね。

現場と上層部では物の見方が違うので、視野の狭い意見は相手にしないわけです。

鶏口の覚悟があって、その目線で話せると信用されます。

逆に、その覚悟が無いと子供扱いをされてしまう。

仕事に対する考え方や取り組み方も全く変わってきますしね。

鶏口の覚悟は、優秀さの判断基準の一つでもあるわけです。

コメント

Copied title and URL