「間違い」を積み重ねる

哲学系記事
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絶対的に正しい事など簡単には辿り着けないもので、どんな人でも間違えるものです。

中国の英雄である「毛沢東」は、穀物の種子を食い荒らすスズメを害鳥と判断し、全国的に駆除しました。

しかし、その結果としてスズメが食べていた害虫が大量に発生し、特にイナゴは食糧に壊滅的な被害をもたらしました。

どんな人間も必ず間違えるし、自分も例外ではない。

大事なのは、それを自覚する事です。

「独善」と「間違い」

絶対に正しい事を「真理」と呼び、哲学の主な目的は真理の探求にあります。

しかし、その真理は遥かに高い場所にあって、人が手を伸ばしても簡単に届くものではありません。

例えば

「自分が生きている世界は本物なのか?」

と考える人達がいます。

今、自分がいる世界は現実ではなく仮想現実かもしれない。

本当の自分は水槽の中に浮かぶ脳だけの存在かもしれない。

スゲー突飛な話ですが、これ可能性を否定出来ないんですよ。

つまり、我々は現実を生きている確証すら得られない。

疑う余地の無いものが真理であって、違う可能性を否定出来ない限り真理とは呼べないわけです。

哲学者デカルトは全てに疑問を投げ掛け続けた結果、自分自身が存在する事だけは疑う余地が無いと判断しました。

他の全てを疑えても、こうして考えている自分の存在は確かにあるから疑う事が出来ない。

「我思う故に我在り」

というわけです。

要するに、正解は簡単には掴めない。

今、自分が正しいと思っている事も、今の自分よりも広い視野や深い見識から見た場合は間違っていたりします。

それでも人は、今の自分の考えを信じて行動する。

そういうものです。

大切なのは「間違えない事」ではないんですよ。

今、自分が正しいと思った事は、未来の自分から見れば間違いかもしれない。

私自身、自問自答しながら過去の自分の間違いを何度も何度も見つけています。

人は間違えずに生きていく事は出来ない。

しかし、間違いを知る事で一つ先へ進む事が出来る。

だから、「間違えない事」ではなく「間違いを認める事」がスゲー大事なんですよね。

賢い人は

「自分が正しいと思われる事」

ではなく

「正しい事実」

に拘ります。

だから、事実を追う過程で必ずと言っていいほど自分の間違いを認めるんですよ。

事実を追究した時、「誰が正しいか」は心底どうでもよくて「何が正しいか」の方が圧倒的に重要ですからね。

逆に、自分の正当性に拘って事実を蔑ろにする状態を「独善的」と呼びます。

人の考え方は、間違いを積み重ねていく事で深くなっていきます。

独善的だと間違いを「間違い」と認めないから、積み重ねる物が無い。

それゆえに考え方は浅いままです。

世の中で本当に賢い人達は、数多くの間違いをして、ちっぽけなプライドに拘らずに何度も間違いを認めてきた。

間違える事が愚かなのではなく、間違いを認めない事が愚かであるというわけです。

結果論

結果論とは物事の結果を見てから論じる事です。

当然ながら、結果を見る前と見た後では情報量が全く違います。

例えば、未来の出来事が分かったら人生がイージーモードだと思いませんか?

何が起きるか分かるから、常に正しい選択をする事が出来る。

結果論って、それと同じ事なんですよ。

競馬で買った馬券がハズれた人に

「何番の馬券を買えば当たったのに」

と言うのも結果論です。

「それはそうなんだけど、買う時にそれは分からねーだろ」

という話ですね。

こうやって文章に書くと当たり前に思える事ですが、結果論である事を理解せず好き勝手な事を言う人が一定数いるんですよ。

最近あった安倍元首相の襲撃事件もそうですね。

現場のSPに対して、結果論から来る非難を言う人が多いです。

あれ、当時の状況や常識、情報や意識、警備態勢を考えると…

極めて勘が鋭くて、行動が機敏で、決断力があって、病気レベルの危機感があって、頭の回転がスゲー早くて、死も責任も厭わない覚悟があるという超絶有能なスタッフが犯人の近くに2人はいないと防げなかったと私は考えています。

要人警護は必ず計画を練るもので、それは現場ではなく上層部の仕事です。

で、現場はその計画に従って行動するんですよ。

だから、不用意に持ち場を離れるとその部分の警戒が緩むんですよね。

そもそも警備や警護対象の配置を見るに上層部は銃撃を警戒していなかったんじゃないですかね? 

現場SPは結果として対象を死なせてしまったけれど、イレギュラーが重なった事態の中ではかなり動けた方じゃないかと思います。

ただ…経験者なら何も言わないけれど、素人にはあーだこーだ言われてしまうので、それがスゲー気の毒ですね。

一つ言える事は、この事件のフィードバックには凄く価値がある。

警備や警護に関わる人間達が、この結果を決して無駄にはしない。

未来の誰かを守るために必ず活かされるという事です。

…余談ですが、私も事件の第一報の切り取られた映像を見た時はSPに対して

「どうした?」

と思ったので、その時点の私も思慮が浅かった。

情報を追っていくうちにSPが置かれた状況を理解したんですよね。 

結果から判断するのは意外と難しい。

一つでも情報が足りないと違う結論に達してしまう。

結果論を話す人達も、自分がその立場でその場にいたら全く違う事を言うでしょう。

情報の収集と整理は欠かせないわけです。

自問自答

生前に安倍元首相を攻撃して、死後も貶めている人達の中には

「安倍が悪い」

みたいな、中身の無いヘイトスピーチを真に受けている人もいるでしょう。

日本の政治家は気骨のある人もいれば、大言壮語を吐いて他人の足を引っ張る事ばかりする人もいます。

誰かの一方的な意見ばかりを聞いていると必ず間違える。

特にSNSは根拠の無い感情論が多いので、基本的に疑ってかかるぐらいのスタンスで丁度良いくらいです。

間違える事が悪いわけではありません。

ただ、取り返しのつかない間違いもあります。

ヘイトスピーチを真に受けて人を殺したら、間違いに気付いても死んだ人は帰って来ない。

何も知らない事が悪いわけではありません。

しかし、何も知らずに起こした行動でも、責任からは逃げられない。

「知らなかった」が通用するのは子供までです。

自分が大きな間違いを犯した事に気が付いた時、間違いを受け入れられる人ばかりではありません。

弱い人は間違いを受け入れられないまま歪んだり、過激化したり、自滅するまで変な方向に突っ走ったりします。

だから、取り返しのつかない間違いを起こさないように自問自答する必要があります。

「偏った情報ばかり集めていないか」

「自分に都合良く考えていないか」

「知らない事や分からない事を無視していないか」

「一方向からだけで考えていないか」

「情報を何も考えずに受け入れていないか」

などなど…こういった懐疑的な思考を「クリティカルシンキング」と呼びます。

哲学の基本的な姿勢でもありますね。

情報を鵜呑みにして脊髄反射で感想を述べるのは非常に楽です。

一方で、情報を慎重に選んで掴み取り、自問自答しながら答えを出すのは疲れるし時間もかかる。

だから、クリティカルシンキングは慣れないと難しいものです。

別に普段から出来るようにしろと言いたいわけではありません。

ただ、重大な問題や重要な問題は慎重に答えを出さないと取り返しのつかない間違いを生む。

その時に思い出して欲しいのがクリティカルシンキングであるという話です。

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