心の変化

哲学系記事
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最近、ちょくちょく似たような意見を受け取る事があって、それが何について言われているのが分からなかったんですが…

要するに

「お前の見てる方向がスゲー偏っていて、それが記事に表れてるぞ」

という事なんだと気が付きました。

これに気が付くまで大分時間がかかって、やっぱり私はアホなんだよなあと自分で思います。

心には核となる部分と、それを取り巻く流動的な部分があります。

流動的な部分はとにかく変化しやすい。

今回は、そんな感じの話です。

心の変化

薄々自覚していた事ですが、今の私は他人に影響されやすいです。

気に入った人、助けようとしている人、協力している人、仲良くしている人など様々な人の影響を受けます。

特に、痛みを感じている人にスゲー引き寄せられる性質があって、その人を肯定しようと一心不乱になる。

私は普段から考えている事を記事にするので、何かに傾倒している時は記事がスゲー偏るみたいです。

若い頃の私はサイコパス性が極めて高かったので、そもそも人の痛みが理解出来ませんでした。

情緒の大切さを知ってから人間らしい感情を求めるようになって、少しずつ変わっていったんですよね。

実は、記事を書き始めたばかりの頃も情緒は弱かったんですよ。

記事を書きながら人の反応や変化を見て、誰かの問題を解決するために相手の心を理解して、情緒は強くなっていきました。

これは自分でも良い変化だと考えています。

ただ、弊害があって…問題となる部分をまだ克服出来ていません。

記事を書き始めた頃は誹謗中傷や殺害予告など、人の反応を全く気にしていませんでした。

幼少期から暴言や暴力を受ける事が当たり前の環境で生きてきて、それらに対抗するように成長してきたから本当に気にしてなかったんですよ。

しかし、他者への攻撃性が心の痛みから来るものだと理解してからは、自分への攻撃がその人の悲鳴に感じるようになった。

だから今は、人の反応ってスゲー気にしているんですよね。

最近、つくづく思う事が

「自分が安定していない時に他人の問題について考えてはいけない」

です。

少し前、抱えきれない心の負荷に苦しみながら記事を書いたら、それらの記事は攻撃的で悪意のある内容になってしまいました。

「こうなっては駄目だ、自分はそうなるな」

という気持ちが強すぎて、他者を完全に否定するような不快感を与える内容になってしまっていた。

それに気付いてからも、自分の問題と向き合う度に受ける負の感情や自分から出てくる理不尽への怒りが、知らず知らず記事に乗ってしまう。

自分が苦しんでいる時は、まず自分を救う事が大事です。

その時に必要な事は誰かの力になる事ではなく、誰かの助けを受ける事です。

これが出来ておらず、自分を客観的に見れていませんでした。

「自分を客観的に見る事は難しい」という記事のように、私もまた自分を客観的に見れていない事が多々あります。

特に弱っている時は視野狭窄に陥るので、自分のおかしさに気が付けない。

ある人に救われなければ、そのまま自滅していたかもしれません。

また、誰かに傾倒して理解しようとしている時は、考え方がスゲー偏る。

1人の人間としてなら問題は無くても、私みたいな内容の発信をする人間には問題です。

極端な話、普段の私は人間であっても記事を書く私は人ではなく本でなければならない。

色々な立場や状況に置かれた人が読む事を意識して書かなければならない。

だから、特定の誰かに傾倒するのではなく、広く色々な人を理解していく必要がある。

これを忘れていました。

この事に気が付いたのも他者の意見によるもので、特にリスクのある方法で伝えてくれた人達には本当に感謝しています。

いつになっても人から学ぶ事は多くて、自分が凡人である事を忘れてはいけないなと思います。

厳しさを与える役目と優しさを与える役目

人には図に乗っている状態と自信が無い状態の時があります。

丁度良いバランスを保つのが難しく、自信が行き過ぎても足りな過ぎても問題があるんですよね。

で、自信が行き過ぎている人やマキャベリアニズムという悪性が強い人は、厳しい意見に触れて反省しなければ行いを改善出来ないと私は考えています。

一方で、自信が無い人や弱った人は優しい意見に耳を傾けて自信を回復していく必要があると考える。

だから、世の中には厳しい意見も優しい意見も必要だと思っています。

特に私は日常の行動で自信をガシガシつけていくので、厳しい意見と向き合っていかないと傲慢になりやすい。

そのせいもあって、私は厳しい意見の大切さをスゲー理解しているんですよ。

自分から厳しい意見に触れて、鼻っ柱を折って自信を失って、冷静に考え直してまた自信をつけていく。

これを繰り返して成長してきましたからね。

だからこそ、私も厳しい意見を言う側になろうと考えたんですが…

私は多分、下手なんですよね。

厳しい意見は必要でも、厳しすぎると逆効果なんですよ。

人には意見を受け止められる範囲があって、厳しすぎると反省するのではなく、拒否反応を起こして意固地になるか落ち込んで萎縮してしまう。

さじ加減がスゲー重要で、行き過ぎると暴言と変わらないからマイナスになるんですよね。

的確に厳しい意見を言える人は、暴言にならないように考えて工夫していたりします。

本当に上手い人は、相手を落ち込ませずに問題を自覚させる絶妙なラインを攻める事が出来たりしますね。

私は元々の考え方が厳しくて自身の耐性も高い。

さらに、若い頃の私も群を抜いて悪性が強かったし、敵対してきた極端に悪性が強い人達の記憶が頭にちらつく。

だから、私の価値観で厳しい意見を言おうとすると、ラインを越えて人を萎縮させてしまう。

さらに、厳しい意見を言い続けると知らず知らず傲慢になっていき、偉そうになって謙虚さを忘れてしまう。

自分が偉いと思っているわけではなくても、問題を指摘し続けると無意識にマウントになってしまう。

これをようやく自覚して、恥ずかしくなりました。

先人達に顔向け出来ねえ…

で、厳しい意見を発信するとそれに傷ついた人の反応があるので、それを気にしてケアしようとする記事を書く。

その繰り返しが情緒不安定に見えて、冷静に考えたらやってる事がヤバイなと思いました。

私は問題を厳しく指摘するには能力が足りておらず、社会にとって足を引っ張る事になってしまう。

自分が厳しい人間に向いていない事を2年近く書き続けてから気が付いたというのが…頭悪いなあとスゲー思いました。

優しい意見を発信する人達と同様に、厳しい意見を発信する人達を私は尊敬するんですよ。

嫌われたり叩かれやすいですし、リスクを受け入れた上で行っているからです。

自分が厳しい人間にならないのは一種の逃げのようにも感じていたんですが…それはスゲー難しくて私の能力では扱いきれない。

言葉を受け取る人の事を考えたら、自分に向いている発信の仕方をした方が良いなと思いました。

報恩と報復を変えていく

長い事ルールとして守り続けた事で、自分の中で変えていかなければならないと感じている事が「報恩と報復」です。

恩を返して仇を返すというシンプルなルールで、昔から頼る相手が極端に少ない私には必要な事でした。

本当に長い間、私を支えて守り続けたスゲー大切なルールですが、今の私には合わなくなってきました。

受けた恩を返していく事、今もこれは変わりません。

ただ、今の私は時間がかかっても人を許していく事が出来るし、身を守る事も出来るので報復の必要が無くなってきました。

それに…悪意があるわけではなく無知や未熟さで迷惑をかけてしまう人もいて、これを悪として切り捨てる事には抵抗がある。

前述した私の厳しい意見の話のように、私も自分のアホさ加減で他者に迷惑もかけています。

誰かを許して迷惑を受け入れていく事は大切ですし、そうありたい。

許せない事があったとしても、目をつぶる努力をする。

それをベースにしていく事が、これからの私には必要な事なんだと考えています。

最近、私に降りかかった問題によって人生が詰みかけたんですが、それでも報復はやめようと思いました。

私の報復に怯える人の声を聞いてスゲー心が痛んでしまった。

仮に、野垂れ死ぬとしても全てを許して、全てのケツを私が持つ方が漢らしくて自分を好きでいられる。

人は間違いを重ねて成長していくものですし、過ちは教訓にして成長の糧にしてくれたら良いと思います。

そうなれる善性を持ってくれると信じよう。

今まで見てきた笑えないレベルの悪人は、私が多く触れてきただけで世の中にはそんなに多くない。

普通の人はブン殴ったり脅したりしなくても、相手の価値観に合わせて道理を話せば理解してくれる。

そして、私もまた自分の許容量を高めていく必要がある。

絶望して、しょうゆ皿くらいになった器をまた大きくしていこう。

ここ最近、スゲー悩んで、スゲー感情が激しく揺さぶられて、スゲー狂って、スゲー考え抜いた結論が

「報恩と許容」

です。

この出来たばかりの未熟な自分の正義を鍛えていく事が、私の今後の課題ですね。

記事を書くようになって様々なトラブルに巻き込まれるようになりましたが、同時に自分の未熟さやアホさ加減も知る事が出来るようになりました。

私ぐらいの歳になると誰かに何かを言われる事も無くなりますし、私は発信をしていなかったら増長して、天狗になって、裸の王様になったまま気が付かないと思います。

出来ているつもりになって出来ていなかったり、賢くなったつもりになってアホだったり、強くなったつもりになって弱かったり、私も例に漏れず凡人です。

記事上では堅く見えるだけで、日常ではアホな事ばかり言う普通のオッサンです。

ただ、やっている事と性格が特殊なだけで、他の発信者みたいにスゲー人物ではないんですよ。

だから、当初は私みたいなオッサンの言う事を真剣に受け止める人なんていないと考えていたんですが…

そうではなかったのがブログを始めて最も驚いた事ですね。

で、私や私の記事が荒れると気にしてくれる人達がいるという事も理解しました。

また私がおかしくなっている時は教えてくれるとありがたいです。

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